Vol.545

FOOD

07 MAY 2024

スペイサイドのウイスキーから、いつの時代も色褪せぬ一本を探して

世界に数多く存在するアルコールの中でも奥が深く魅惑的、かつ探求心を誘うものがウイスキーではないだろうか。グラスから漂う芳香やスパイシーな刺激、長く漂う甘美な余韻。飲み始めた時こそ苦手意識を持ったものの、味わうほどに知るほどに、その魅力にはまり込んでいく…。そのウイスキーの原点とも言えるエリアがスコットランドのスペイサイドだ。幾つもの名だたるウイスキーが生まれる場所で、自分だけの一本を見つけてみよう。

ウイスキーの魅力に惹かれて新たな旅へ

初めてウイスキーを嗜んだ時を誰もが覚えているのではないだろうか。今まで飲んだ他のアルコールドリンクに比べ、格段に強いその味に一瞬戸惑いを覚えたはずだ。その刺激的な鮮烈さ故、ウイスキーは急いで飲むのは似合わない。ゆっくりと時間をかけて自分の選んだものと対峙し含味することで、これは酔うためではなく味わうためのドリンクなのだと体全体で理解することができるのだ。

ひと口ごとにその滋味を味わうウイスキーには大人になったからこそ分かる美味しさがある
それまではビールやカクテル、ワインなどのドリンクを嗜んできたが、年を経るごとに、お酒を嗜む機会が増えるごとにウイスキーを味わうチャンスも多くなる。知るほどにその魅力に引き寄せられて、これまで様々なエリアのウイスキーに巡り合った。その中で最も強烈な印象でこれまでのウイスキーへの思いを変えたものがアイラ島のウイスキー。ピートが強く香る個性豊かなウイスキーは、その生まれた場所へ向かわせる力を持っていた。
アイラ島での体験は、もっと多くの蒸留所へ訪れてみたいという好奇心を刺激してくれた。そして次に選んだ場所はスペイサイドで、スコッチウイスキーの原点とも言えるエリアだ。私にとってその旅は、まろやかで優しく穏やかなテイストの魅力を再び教えてくれるものとなった。

愛するものが作られる場所を訪れることで、また新たな見解が生まれてくる

世界で最も親しまれているウイスキーが生まれるスペイサイド

スコットランドには現在稼働している蒸留所が150近くあり、生産地ごとに異なる魅力を持っている。エリアはハイランド、スペイサイド、ローランド、キャンベルタウン、アイラと5つに分かれており、その中のひとつスペイサイドはもっとも有名な場所かもしれない。

スペイサイドはスコットランドの北東に位置し、およそ98マイル(約158km)の長さを誇るスペイ川の河川流域にある豊かで肥沃な渓谷を中心としており、およそ50もの蒸留所が点在している。この地域はスコットランドの中でも最も乾燥し温暖なエリアと言われ、農地は大麦の栽培に適し、澄んだ上質の水とともに世界中で愛されるウイスキーを生産し続けている。

イギリスで9番目に、スコットランドではテイ川に続き2番目に長いスペイ川。スペイサイドのウイスキー製造に欠かせない重要な河川だ
ちなみに世界で最も売れているシングルモルトウイスキーのグレンリベットとグレンフィディックもスペイサイド産である。この二つとマッカランのウイスキーは米国で最も人気の高いスコッチウイスキーと言われ、ウイスキーにさほど詳しくない方もこれらのブランド名を聞いたことがあるに違いない。そのテイストはほのかに甘くフルーティーでまろやか、癖のない味でウイスキー初心者から愛好家にとっても愛される理想的なシングルモルトと呼ばれている。

スペイサイドには誰もが知る有名なものから初めてその名を聞く蒸留所、また一般公開されていないものまで幅広く点在している
実はスペイサイドの蒸留所を訪ねるのは今回が初めてではない。先に記したグレンフィディックやマッカランなど主だった蒸留所には既に滞在していたが、あまり強い印象に残っていないというのが正直な感想だ。世界に名だたるウイスキー生産地であり、あまりにも有名であるために、変わったものや物珍しいもの、個性豊かなものを求めがちな私にとって、スペイサイドは今一つ食指が動かない地域であったのだ。

緑多く穏やかな景色に囲まれたスペイサイド。数多くのスコッチウイスキーがこの地で生産されている
だがアイラ島で蒸留所に幾つか滞在して分かったことがある。それは実際に経験することで、それまでの認識を覆してくれることがあるということだ。以前滞在した時と違う意識を持ってスペイサイドに再び訪れてみることで、これまでの印象がどう変化するのか知ってみたかった。

記憶に刻まれるウイスキー、スペイバーンとの出会い

今回滞在した蒸留所はツアーのスケジュールが合ったCardhu、Craggnmore、Gren Moray、Speyburnの4つだが、その中で最も印象に残ったのがスペイバーン蒸留所だ。理由はとてもシンプルで、朝10時スタートのツアーだったためか参加者が私と友人しかおらず、通常よりもより記憶に残るものとなったのだ。

これまで参加してきた蒸留所のツアーは少なくて6〜8人、多い時は20人ほどで一緒に回るが、参加者がたった二人だったために普段は聞き逃してしまうような情報もじっくりと聞き、様々な質問もすることができた。

静かな渓谷の中に佇むスペイバーン蒸留所は127年の歴史を誇る。近年その人気はアメリカを中心に高まりつつある
スペイバーン蒸留所は1897年、創業者であるジョン・ホプキンスによってヴィクトリア女王のダイヤモンドジュビリー(60周年記念)に合わせて創立された。既にウイスキー商として成功していたホプキンスは自身の蒸留所で最高級のウイスキーを製造することを夢見ていたという。長い期間蒸留所に最も適した場所を探し続けたホプキンスは、スペイ川近くの人里離れた渓谷で隠れるように佇む小さな小川、グランディ・バーンを見つけたのだった。

ホプキンスは世界的に著名な建築家、チャールズ・C・ドイグに蒸留所が周囲の環境に調和するように依頼した。限られたスペースしかない険しい渓谷の地形に合わせてドイグが作り出した蒸留所は3階建てで、穀物の上に空気を一定の流れを出すことが可能なパゴダがあり、これは今やスコットランドの蒸留所で欠かせないものとなっている。

スペイバーンのウイスキーはバーボンあるいはシェリーのオーク樽を使い、低い天井と石やレンガの壁、スレート屋根と土の床を使用したダンネージ倉庫で熟成される
スペイバーンの蒸留所はこれまで一般公開はされておらず、2023年の8月に蒸留所ツアーが開始された。私が参加した際に案内をしてくれたのは祖父の代から3代に渡りこの蒸留所に勤めているというアレックス氏。祖父、父が働く蒸留所は彼にとって幼い頃から遊び場でもあったと言い、モルトとホップの香りに包まれて育ってきたと教えてくれた。
ツアー終了後のテイスティングでは、4種類のスペイバーンウイスキーを味わった。これまでどちらかと言えば個性の強い、ピートをふんだんに含んだウイスキーを好んできたせいか、その飲みやすさに驚いた。

今回のツアーを担当してくれたアレックス氏。蒸留所での仕事をリタイアした後、現在はガイドとして勤務しているという

スペイバーンのウイスキーはフルーティーな余韻をもたらす奥深い味わい。アレックス氏おすすめの15年ものは機会があれば是非試して欲しい
スペイバーンのウイスキーはスコッチウイスキーの特徴であるスモーキーさは鳴りを潜め、ソフトで繊細、まろやかな甘味を感じるテイストだ。ウイスキーの喉をぴりりと指すような後味のスパイシーさは苦手と思う人にも飲みやすく、ウイスキーは初めてという人に、その魅力を知るためのおすすめの一本となるはずだ。

初めての人にもウイスキーに詳しい人にも。一日の締めくくりにふさわしい一本となるはず

ウイスキーを選ぶ基準を明確にして

ウイスキーは本来ウイスキーそのものを自分自身の五感を使って味わい楽しむもののはずだが、その魅力ゆえマニアックな道へ誘う力も持っている。マニアックになるのは何も問題はない。だが少し違う方向へ逸れてしまうと選ぶ基準がよこしまなものにもなりがちだ。

ウイスキーは蘊蓄を語るために選ぶのではなく、自分自身の感性で信じて選びたい
自分の好みを探していく旅の道程だったはずなのに、追い求めるのは世間に広まっていない希少価値のあるブランド、他に例を見ないインパクトのある挑戦的な風味、年数を経ていて手に入れるのが難しい一本。誰もが飲んでいるメーカーではなく、通好みと呼ばれるもの、珍しいもの、あまり知られていないものを追い求める・・・そうなると最早ウイスキーを味わうのではなく、他人とは異なるものを手に入れることが目的になってしまう。

一杯ごとに香りを確かめ風味を味わう。時間をかけて様々なブランドや年代を試すことで本当の一本に巡り合える
スペイバーン蒸留所でのテイスティングをした際、「スペイバーンのウイスキーを今でも毎晩、眠る前に一杯嗜んでいる。いつ飲んでも決して飽きることのない味」と語ったアレックス氏の言葉が強く印象に残った。3代に渡りスペイバーン蒸留所で働き、今もなおこのウイスキーを深く愛する氏の気持ちが胸を刺す。そこには誰の意見に左右されることもない、彼自身が経て来た経験から生まれた物語が存在していた。

日々の暮らしを共有したいウイスキーを相棒に

ウイスキーから得られる楽しみとは何だろう?生産される場所によって異なる風味、年代によって変化していく味わい深さ、使用する樽によって新たな香りが生まれていく複雑さ。自分でひとつずつ味を確かめ、好みを発見していくことで探求心や好奇心を満たしてくれる。

製造工程を知るほどにその奥深さに翻弄される魅力を持つウイスキー。自分が本当に欲するものを選ぶ基準に
今回スペイサイドを訪れて感じたのは、突き詰めていく楽しさの他に忘れてならないのが、普段の日常を共に過ごす自分だけの一本を見つける喜びだ。個性を放つ一杯は特別な夜に取って置き、いつもの一日が終わる時間には飽きることのない味で、心身共に癒してくれるものを選びたい。長く愛せる相棒になってくれるに違いないスペイサイドのウイスキーから、時を経ても色あせることのない一本を選んでみよう。

いつの時代になっても自身の中で色褪せない一本を。一生のパートナーとなるウイスキーとともに