ロッキングチェアという選択肢
ロッキングチェアが我が家にきたのは、今年のことだ。
ここ数年 家にいる時間が増えたからかインテリアへの熱が高まっていて、照明を買ったりDIYをしたりと居住空間を楽しんでいたのだが、しかしその一方で、私は椅子にだけは なかなか手が出せずにいた。インテリアがお好きな方は頷いてくれるだろうが、椅子ってすごく高価なのだ。それに用途が限られているから、そう何脚も必要にならない。座るという行為の目的は、たいてい食事か趣味か、仕事か。家族一人につき一脚あれば十分だとも言えるだろう。
けれども私は椅子を探し続けていた。目的を超えて、それがあるだけで嬉しくなってしまうような椅子はないだろうか?そこで時間を過ごすことが楽しみに思えるような椅子があったら、きっとこの日常は、もっと素敵になる。
……そうして辿り着いたのが、ロッキングチェアという選択肢だ。
生活空間に、ささやかな魔法を。手のひらサイズの名作照明「パンテラポータブル」|ZOOM LIFE
庭に置かれたロッキングチェアに座り新聞を眺める農夫の写真や、芝生の上に置かれたロッキングチェアでうたた寝をする婦人の絵画を、どこかで見たことがある。それはとても穏やかな日常の一コマで、こちらにまでゆったりと流れる時間が伝わってくるようだった。
庭で使っていたということは、おそらく気候にも左右されたのではないか。彼らはきっと、よく晴れた気持ちのよい日に“わざわざ”そこに座っていたに違いない。つまりロッキングチェアは、座ることそのものが目的なのだ。他の椅子のように座って何かをするのではなく、ただ座ることが。
人の余暇のために作られたロッキングチェア。それは言い換えればきっと、人生のための椅子なのだと思う。
秋田木工の曲げ木技術
このメーカーの最大の特徴は、「曲げ木(ベントウッド)技術」。無垢の木材に高温の蒸気を加え柔らかくしてから 鉄製の型にはめ込み乾燥・固定させることで、アーチ状に木を加工する。この技術によって生まれる曲線は、自然で優美で、とても魅力的だ。
その歴史に大きな変化が生まれたのが、1860年に発表されたトーネット社のロッキングチェア。ドイツの家具職人ミヒャエル・トーネットによるデザインだ。
座ることそのものが目的であるという椅子の特徴をよく理解してのことなのだろう。ロッキングチェアを再解釈したトーネットは「曲げ木技術」によって、座り心地と大きく包み込むようなデザインを実現した。
秋田木工の「曲げ木技術」というのは、このトーネット社の技術を継承したものである。日本で唯一その技術を継承するメーカーであり、曲木専門工房。匠の技による繊細な曲線美はため息ものだ。
この美しい曲線を撫でるのが、私は好きだ。特に座っているときのアームの触り心地。ひんやりとした表面の中に、木の温もりを感じる。艶やかな表面に反射する光が、心にじんわりと落ち着きを与えてくれるようだ。
「磨く」をエンターテイメントに変える、MetropolitanCROSSbottleのクリーニングクロス。|ZOOM LIFE
ピカソも愛したデザイン
ピカソがこのロッキングチェアに座っているポートレートは沢山残っているが それだけでなく、女性を椅子に座らせて描いた絵画をいくつも残していることも興味深い。
ピカソも愛用したロッキングチェア。同じデザインの椅子にゆらゆらと揺られながら 偉大な芸術家に想いを馳せてみるのも、芸術の秋におすすめの時間の過ごし方だ。
ロッキングチェアを部屋に置くということ
それは多分、ずっと自分の中にあった、ロッキングチェアに対するイメージによるところも大きい。余裕のある大人の椅子というイメージが強かったから、それを自分が所有しているという高揚感もあるだろう。
けれどもそれ以上に、大きな安心感のようなものを得られるのだ。生活に必要不可欠な行為「以外」の選択肢を、自分は持っているのだという安心感。
その椅子は私に、「何もしなくてもいい」というメッセージをくれる。私はそこで食べるでもなく、書くでもなく、見るでも読むでもなく、ただただ座る。もちろん、そこで食べても書いても、見ても読んでもいい。考えごとをしてもいいし、何も考えなくてもいいだろう。
何をしていても、何をしていなくても、自分のための時間を過ごせる椅子。ただただ座るだけで良い時間を過ごせるという安心感は、私たちを想像以上に温かく包んでくれるはずだ。
人生のための椅子、その曲線に身を委ねて
私たちは日々さまざまなものとの関わりの中で生きていて、ちょっと大げさかもしれないけれど、だからこそ時々自分を見失いそうになることもある。そういうときに、一人がけの椅子に揺られながら自分の中心を探っていく時間は、実はとても大切なのかもしれない。
秋田木工の曲げ木による曲線に、ふと人生が重なった。ときに登ったり、ときに降りたり。長く穏やかに続くその曲線に身を委ねて、今の自分自身に向き合ってみよう。