“現代に生きる最も重要な画家”として位置づけられるゲルハルト・リヒターの大規模個展が、東京国立近代美術館で2022年6月7日から10月2日まで開催されている。60年の画業を振り返る今回の展示では、リヒターが一貫して続けてきた「見ること」への探究の姿勢が、展覧会全体を通して感じられる内容となっている。イメージに対する見かた、ものごとに対する見かた、社会や平和に対する見かたなど、リヒターはどう捉え、表現に落とし込んだのか。リヒターならではのアプローチを紹介しながら、これからのわたしたちに必要な「見る」姿勢を考えてみよう。
作家ゲルハルト・リヒターとは
ゲルハルト・リヒターは、1932年、ドイツ東部にある古都ドレスデンで生まれ育った。20代になると、リヒターは地元ドレスデンで芸術を学び、早くも壁画家として成功していた。しかし当時の東ドイツは厳しい共産主義体制下。自身の芸術活動が縛られない環境を求め、リヒターはベルリンの壁がつくられる半年ほど前の1961年3月に、西ドイツのデュッセルドルフへと移り住んだ。ここでも改めて芸術を学んだリヒターは、写真のイメージを精密に模写しながらも、ぼかすように描き起こした〈フォト・ペインティング〉作品を発表していく。そして70年代初期からは個展を行うようになり、70年代後半になると、キャンパスの上に乗せた絵の具を引きずるようにして表現する〈アブストラクト・ペインティング〉を発表。イメージの成立条件を問い直す、独自の表現を確立していった。
リヒターの「見ること」へのあくなき探求心は、オイルペインティングはもちろん、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など、さまざまな媒体を用いながら、数多くの作品を生み出した。そして表現手法を進化させていくにつれ、世界中で評価されるようになっていった。1977年にはパリのポンピドゥー・センターでの個展を開催。さらに2002年にはニューヨーク近代美術館、2011年にはロンドンのテート・モダン、2020年にはメトロポリタン美術館など、世界中の名だたる美術館で個展を開催。現存作家としては異例の偉業を成し遂げ、世界的な現代アーティストとしての確固たる地位を築いてきた。
作家が到達した境地とは。大規模個展「ゲルハルト・リヒター展」が開催中
日本ではおよそ16年ぶり、東京では初の美術館での個展となる今回の「ゲルハルト・リヒター展」では、全122点の作品が展示されている。また、そのうちの約7割は日本初公開の作品となる。ゲルハルト・リヒター財団や作家本人の所蔵作品を中心に、60年にわたる画業を振り返る内容となっている。
展覧会の会場構成は、90歳となるリヒター自身が考案したものを元に構成されている。空間は大きく6つに分けられているが、順路が決められておらず、時代や章立てによって展示空間を明確に分けるようなこともされていない。来場者は見たい順番で、会場内を自由に行き来しながら見ることができるのだ。
本展では、近年の作品の中で最も重要とされる《ビルケナウ》(2014)が展示されている。これもまた〈アブストラクト・ペインティング〉ではあるが、その引きずられた絵の具の下に隠されているのは、ホロコーストを映した4枚の写真のイメージだ。
この深刻なテーマに、ドイツ人であるリヒター自身も幾度となく挑戦してきた。しかし、「残虐なホロコーストを描けるのか」という葛藤の着地点が見出せず、なかなか完成には至らなかったという。そして2014年、ついに完成した《ビルケナウ》は、長年にわたる葛藤からリヒターを解放した。
展示空間には、4点の大型絵画からなる《ビルケナウ》、その向かいに同寸の複製写真、その間に《グレイの鏡》という反射する横長の鏡の作品、そして《グレイの鏡》の反対側に《ビルケナウ》の元となった白黒の写真が展示されている。
この空間で「見る」ものは、絵画の色やテクスチャー、鏡に映る作品やそれを見る人など、視覚的に見えるものだけではない。絵の具で塗り固められた、画面の下にあるはずの見えない写真イメージや、元となった写真の撮影者の気配、リヒターが向き合ったドイツの歴史までもが「見えてくる」のだ。
空間内で影響しあう作品たち
リヒターは60年にわたる作家人生のなかで、〈フォト・ペインティング〉や〈グレイ・ペインティング〉、〈アブストラクト・ペインティング〉、〈オイル・オン・フォト〉、デジタルプリントによる〈ストリップ〉、鏡とガラスなど、数々のシリーズを生み出してきた。
展示空間では、それらの作品が互いに干渉し合うように配置され、全体を通して「見ること」の複雑性を体感できるようになっている。
作品《4900の色彩》は、既製品である色見本の色彩を描き、ランダムに配置したカラーチャートシリーズのひとつ。巨大な絵画の前に立つと、色のブロックに圧倒され、近づくと視界いっぱいにカラーチャートが広がり、その強い色の刺激に飲み込まれそうになる。
そこで絵画から離れてみると、同じ空間内にある《鏡》(1986)の作品が視界に入る。そこには《4900の色彩》が壁に連なる様子が映し出され、少し引いた視点で鏡の中の空間を見つめている自分がいた。
体の向きを横に向けると、先ほど見ていたカラーチャートの圧力がほとんどなくなる。同じくらいの大きさのフラットにグレーに塗られた作品《グレイ》と、先ほど見た《鏡》を一緒に並べてみると、鏡に映る像が反射という現象ではなく、絵画として描かれたもののように見えるから不思議だ。
入口から入ってすぐに置かれている《8枚のガラス》(2012)は、透明かつ反射するガラス板の性質から、透けて反射する周囲のイメージを映し出す。そのため、ほかの作品はもちろん展示会場にいる人が動く様子も透けたり映り込んだりして見え、そのうえ自分自身も動いて見ているため、非常に動的で捉えようのないイメージが生まれつづける。
「見る」とはなにか? あらためて考える
リヒターの作品を鑑賞していると、「いま、なにを見ているのか?」と常に問いかけられているような感覚に陥る。
純粋に現象や質感を捉えているだけなのか? 作品から滲み出る作家の思考や意図を探っているのか? 作品を見ている自分を見ているのか?
一貫して「見ること」を探求してきたリヒターの作品群を通して、空間内にある無数の情報をどのレベルで「見よう」としているのか、非言語の問答が行われているかのようだった。
さまざまな「見る」を体験し、考えることができた「ゲルハルト・リヒター展」。本展覧会から一度多角的に見ることの面白さを知れば、今後日常でアートを見ることがより面白くなるだろう。
現在90歳のゲルハルト・リヒターは、2017年に最後の〈アブストラクト・ペインティング〉を描き、大型の絵画制作を終了すると宣言した。しかし今もなお、リヒターはドローイング作品を描き続け、アーティストとしての思考は衰えることを知らない。自らのテーマを追求しつづけるアーティストの情熱に触れることで、私たちに宿る感性も引き起こされていくはずだ。
ゲルハルト・リヒター展
この展示会は終了しました
会期:2022年6月7日(火)〜10月2日(日)
会場:東京国立近代美術館(MOMAT)企画展示室 1F
住所:東京都千代田区北の丸公園3-1
施設開館時間:10:00〜17:00(金・土曜は10:00-20:00)*入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日[ただし7月18日、9月19日は開館]、7月19日(火)、9月20日(火)
観覧料:一般2,200 円(税込)
https://richter.exhibit.jp/
CURATION BY
フリーライター・エディター。専門はコミュニケーションデザインとサウンドアート。ものづくりとその周辺で起こる出来事に興味あり。ピンときたらまずは体験。そのための旅が好き。