Vol.469

MONO

15 AUG 2023

思い出を超えて。旭屋ガラス店がアップサイクルで提案する、昭和型板ガラスの新しい美しさ。

それは幾何学模様か、風景か……。昭和2年創業の老舗ガラス店『旭屋ガラス店』が提案するのは、特徴的な柄が魅力の昭和型板ガラスを使ったプロダクトだ。皿や小物、ランプシェードなどを、何十年も昔のガラスをアップサイクルして作っている。それらが暮らしの中に届ける、懐かしさや思い出にとどまらない新しい美しさについて、工房への取材と実際の使用感を通じてここにご紹介したい。

他のお皿とは異なる独特の雰囲気に惹かれて

我が家では『旭屋ガラス店(あさひやがらすてん)』の皿を以前から愛用しているのだが、この皿をテーブルに置くと、空気がしんと澄むような感覚になるのが以前から不思議だった。2mmという、ほんの少しぞんざいに扱えばすぐに割れてしまいそうな繊細さがありながら、存在感抜群の皿たち。どうしてこんなに雰囲気があるのだろう?

空間を演出してくれる旭屋ガラス店の皿たち
私はSNSで話題になっていることをきっかけにこの工房を知ったのだが、正直に言えば、昭和型板ガラス自体は馴染みがなかった。そういえば祖母の家にあったかな…という程度で、特別語れるような思い出もない。しかし若い世代を中心に爆発的にヒットし、また私自身どこか惹かれてしまうというのには、思い出以外の部分に大きな理由があるのではないだろうか?この特別な雰囲気の秘密を探るべく、神戸市長田区にある『旭屋ガラス店』の工房を訪れた。

神戸市長田区に工房を構える旭屋ガラス店

工房の隅に置かれた型板ガラス

神戸の工房で笑顔で迎えてくださったのは『旭屋ガラス店』代表の古舘嘉一(こやかたよしかず)さん。この老舗ガラス店の三代目だ。

旭屋ガラス店三代目の古舘嘉一さん
「うちは昭和2年(1927年)創業。祖父の代からずっと、この神戸の下町で硝子店をやっています。父の代までは、住宅用のガラスの取り付けや割れ替えが主な仕事でした。しかし洋室が増えたことと、住宅・流通形態の変化により、ガラスの需要は低迷。このままじゃいけないなと、自分の代からアップサイクルの品を製造・販売しています」

古舘さんが店を継いだのは平成14年(2002年)の4月。それまではサラリーマンとして技術職に携わっていた。硝子店を継ぐつもりは一切なかったとのことで、継ぐことを決めた時には周りからとても驚かれたのだそうだ。

「なんでこんな時に、という同業者の意見が多かったですね。ガラス需要は低迷して、景気も良くない。何も今継がせなくてもと父親が言われていたことを、よく覚えています。だけど自分で経営をしてみたいという興味が勝り、幸い旭屋ガラス店という母体があったので、戻ってくることは必然的でした。父は何も言いませんでしたが、内心喜んでいたと思います」

先代から継いだ工房。現在は古舘さんが制作した沢山の皿やランプシェードが
てっきり昭和型板ガラスに魅せられ、この価値をなんとか残さなくてはと継がれたのだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。ガラスへの興味や、その魅力への共感は、古舘さんの場合あとからついてきた。

「今でもたまに思い出すんですが、自分が継ぐとなって工房を掃除していた時に『ここもう処分するか、片付けなあかんしなぁ』と父が言ったんです。見ると部屋の隅に、ぎゅっと並べられた昭和ガラスの端材が。そこで思わず父に『いや、待ってくれ。俺が必ず何かに使うから』と頼みました。具体的なアイデアは一つもなかったのですが、なんとなく祖父や父が大切に残しておいてくれたような気もしましたし、それを自分なら何かに生かせると感じたんです」

工房の隅に置かれていた昭和型板ガラスの端材
この出来事に前後して、古舘さんはステンドグラスも学び始めた。幼少期はただ祖父と父親の仕事という認識で、特別に興味のなかったガラスだが、向き合ってみると奥が深い。気がつけば夢中になっていた。

「2年くらいステンドグラスを習ったあとに、昭和ガラスを用いたオリジナルのプロダクト制作を始めました。2004年くらいのことですね。種類の多い型板ガラスを生かすためにはデザイン性のあるものがキーになってくると考えていたので、さまざまな大きさと形のお皿と、ステンドグラスの技術を生かしたランプシェードを。これは当時から現在までずっと定番として作り続けているものです」

オリジナルのステンドグラス作品。古舘さんの作品はJR神戸線「摂津本山駅」にも設置されている

ステンドグラスの技術はランプシェード制作などに生かされている
サラリーマン時代に開発を通じてものづくりの魅力を知っていたこともあり、全く新しい切り口で商品を作ることには違和感がなかったという古舘さん。誰もやったことがない方法で新しく生まれ変わった昭和型板ガラスは、古舘さん自身驚くほどに魅力的だった。

ご自身がデザインした皿を優しく眺める古舘さん

さまざまな昭和型板ガラスがアップサイクルでより魅力的になっていた

昭和型板ガラスって?昭和から平成、そして令和へ

そもそも昭和型板ガラスって何だろう。『旭屋ガラス店』では昭和ガラスとも表現しているこのガラスは、『旭硝子』『セントラル硝子』『日本板硝子』の3社が昭和30年代から50年代頃までに盛んに製造していた板ガラスのこと。2mmから6mm程度の柄の入った板ガラスで、窓や建具、食器棚、またガラス障子と呼ばれる引き戸などに用いられてきた。その柄の種類は数十種類あるとされ、一つ一つに名前とコンセプトがあることが特徴的だ。

旭屋ガラス店で見せていただいた当時の貴重な資料
『旭屋ガラス店』の皿は、主に厚さ2mmの型板ガラスを用いて作られている。国産のガラス障子に嵌め込まれていた薄いガラスで、優しく光が通り抜けるのが魅力。また一つ一つ違う柄が楽しく、ある人にとっては懐かしさを、またある人にとっては斬新さを感じることができるだろう。

例えば、我が家に数枚ある『旭屋ガラス店』の皿の中で最初に購入したのが「かすり」の皿なのだが、実はこれは夫のリクエストだった。夫は昭和56年(1981年)生まれで、平成5年(1993年)生まれの私とは一回り歳が離れている。そうすると幼少期の思い出も少し異なってくるもので、夫にとってこの「かすり」は昔住んでいた家を思い出す特別な柄なのだそうだ。

一方で私にとっては、思い出には結びつかないが面白さを感じる柄。きらきらと星の輝きのようにも思われる柄が新鮮で、なんだか可愛らしい。夫にとっては思い出、私にとってはデザイン的な魅力を理由に、夫婦一致でこの柄の購入を決めた。

1964年発売の昭和型板ガラス「かすり」の皿。裏面は当時のガラスの表情そのままにザラっとしている
『旭硝子』が昭和39年(1964年)に発売を開始したこの「かすり」という柄は、その名のとおり着物の十字絣模様を表現したもの。着物などでは別の色で織られる十字模様を透明のガラスでデザインすることで、影でもまた絣模様を楽しめるような仕掛けとなっている。

『旭屋ガラス店』が提案するのは、このように一つ一つの模様がストーリーをもつ昭和型板ガラスを、今を生きる我々に届けるアップサイクルだ。皿やランプシェードに生まれ変わることで昭和型板ガラスの模様はさらに魅力的に引き出されており、だからこそ私たちは、そのガラスに思い出があってもなくても、惹かれてしまうのかもしれない。『旭屋ガラス店』の皿は2020年にSNSでの拡散をきっかけに爆発的にヒットし、時代を越え、今さまざまな客層に受け入れられ始めている。

誰かにとっては懐かしく、また誰かにとっては新しい昭和型板ガラス

昭和型板ガラスにみる新しい美しさ

『旭屋ガラス店』の皿は、その工程のほとんどを古舘さん自身が手作業で行っている。まず切り抜く位置を決めてカット、そこから手作業で研磨、洗浄し、柄が溶けない絶妙な温度の電気炉で形を整える。電気炉は1サイクルあたり12時間かかるのだが、一度に入れられる枚数に限りがあるため、繁忙期は12時間毎に入れ替え作業を行い、昼も夜も問わずみっちり制作するのだそうだ。それを続けるのは大変なのではと尋ねると、古舘さんは「型板ガラスの美しさを知ってもらうためなら」と答える。

「どの工程も研究を重ね、機械や手作業、色々試しましたが、今はこのやり方に落ち着いています。一枚ずつ作り続けるのは大変ですが、注文いただけることはとてもありがたいですし、多くの人に型板ガラスの美しさを知っていただけると思うとやる気も出ますね」

ガラスの種類ごとに並べられた制作途中の皿

手作業での研磨は体力も時間も使う
先に述べたとおり、古舘さんにとってガラスは特別な思い出のあるものではなかった。しかしだからこそ適度な距離をもって、その美しさを客観的に、純粋に引き出すことに成功したのではないだろうか。工房での古舘さんの姿を見ていて、ご自身が一番そのプロダクトの美しさに喜んでいるような様子が印象的だった。

「ほら、ここに嵌っているよりも良いでしょう」古舘さんは、工房の窓に嵌まっているガラスを指差してから、それと同じガラスを用いた皿を手に取って笑う。確かに、窓に嵌まっている時よりもガラスが生き生きと輝いているように見えた。

皿として生き返った昭和型板ガラス

窓に嵌まっているのは、上の写真の皿と同じデザインのガラスだ
現在古舘さんの元には、全国から昭和型板ガラス引き取りの問い合わせがあるのだという。ガラスに対する純粋な姿勢を見ていると、この人になら託したいと依頼主が思うことにも納得する。

「可能な限り引き取りに行くようにしています。昭和ガラスはもう生産されていない貴重な物ですし、それを提供いただけることはとてもありがたいこと。自分自身楽しみながら日々試行錯誤しつつ、今の世代に新しい美しさとして届け続けていきたいです」

「日々試行錯誤です」と語る古舘さんの工房には、試作品等も沢山置いてあった

食卓への提案と、インテリアとしての提案

我が家にあるのは「かすり」「みずわ」の150mmの円形皿と「きららの」180mmの円形皿。そして「ダイヤ」「古都」「ときわ」豆皿セット。ここからは使用例を写真と共にご紹介したい。

まずはやはり、食卓で使うこと。150mmも180mmも、一品料理を盛り付けるのにちょうどいいサイズ感だ。先日友人が遊びにきた時にこの皿を使ったのだが「この柄知ってる!」と思い出話に花が咲いた。また柄を知らなくても「涼しげだね」「華やぐね」と、自然と話題に上がる。テーブルコーディネートの褒められアイテムとしても、力を発揮するだろう。

この皿に載せると食卓が涼やかに

150mmの皿はケーキなどのおもてなしにもぴったり
夜の晩酌やお茶のお供には、豆皿を。この皿自体が時を経たものだからか、骨董の盆やうつわにもしっとりと馴染むのが嬉しい。昭和型板ガラスが演出する澄んだ心地よい空気感の中で、静かな時間を楽しむのもオツだろう。

夜の晩酌は昭和型板ガラスが落とす影も楽しんで

日本製ガラスだからか、日本の古い文化とも相性が良いようだ
また個人的には、インテリアの一部にすることもおすすめしたい。例えば皿立てに飾ってみるのはどうだろう。かつては建具や引き戸に用いて、それこそインテリアの一部だった昭和型板ガラス。当時と同じように視界の隅に置くことで、日本人ならではの穏やかな生活時間を味わえる気がする。

光を通す場所に皿を飾るとより本来の美しさを味わえる

今、思い出を超えて

『旭屋ガラス店』が創業した昭和2年というと、1927年。その歴史はもうすぐ100年目になる。老舗だが歴史に固執することなく、常に新たな価値を追い求める姿勢は、きっとこの先も変わることがないのだろう。

実は今回の取材をきっかけに、昭和型板ガラスを確認すべく祖母の家を訪れてみて分かったのだが、居間のガラス障子に嵌められていたのは1973年発売の「よぞら」だった。

祖母の家のガラス障子には昭和型板ガラス「よぞら」が

旭屋ガラス店の工房にて、当時の「よぞら」のパンフレット。「よぞら」を用いた皿と共に
祖母にガラス障子について尋ねると、こういった細かい内装は、今は亡き祖父が大工さんと一緒になって一生懸命考えたものだということを教えてもらえた。こだわりの強い頑固な祖父の自慢の家だから、祖母は今も大切に住み続けているのだと。……この会話は私にとって非常に温かいものであり、『旭屋ガラス店』の皿に出会っていなければ過ごすことのできない時間だった。私と『旭屋ガラス店』の出会いのきっかけは思い出ではないが、しかし家族のまだ知らない思い出話を聞くきっかけにはなったと思う。そんなふうに、この美しい皿をきっかけに、家族との絆を深めるのも素敵かもしれない。

旭屋ガラス店の皿は、家族との新しい会話のきっかけにも
『旭屋ガラス店』のプロダクトはいわゆるアップサイクルの品だ。アップサイクルとは、破棄される予定だったものに価値をつけて新たに生まれ変わらせる手法のこと。SDGsが謳われる昨今、ものを大切に繋いでいくという意識はより大きな意味をもってきた。

大量生産される新しい皿を買うなら、このアップサイクルの皿に目を向けてみてほしい。『旭屋ガラス店』の皿を使うことで、あなた自身もアップサイクルの循環の中に入ることができる。日常に、環境のための小さな種を植え付けるきっかけにもなるのではないだろうか。

アップサイクルの意識を、美しい皿を通じて日常に取り入れる
思い出はもちろんだが、そこにとどまらず、新しい価値を提案してくれる『旭屋ガラス店』。そのプロダクトは、型板ガラスが通す光のように、柔らかく、優しく、私たちに新しい美しさを提示してくれる。

柔らかい光が2mmのガラスを抜け、テーブルに優しく影を落とす。昭和型板ガラスに思い出がなくても、惹かれてしまうデザイン。『旭屋ガラス店』という老舗硝子店が新しい命を吹き込んだプロダクトは、ここからまた新しい思い出を、暮らしの中に繊細に積み重ねてくれそうだ。

旭屋ガラス店