Vol.107

MONO

25 FEB 2020

北欧のデザイン Arne jacobsenの壁時計「station」で、時の流れを感じる。

年明け早々に部屋の壁時計が壊れてしまった。それまで使っていたのは、いつどこで買ったのかも覚えていない時計。せっかくだからと、少しはデザイン性が優れたものをと色々と探していると…かの有名なデンマークの建築家「arne jacobsen(アルネ・ヤコブセン)」が手掛けたプロダクトに出会った。「station」というその名の通りに、デンマークの駅で使用されていた時計だ。見れば見るほど愛着がわいてくる、北欧の巨匠が生み出したミニマルなデザインの魅力と、アナログの時計がもたらす心地よさを紹介しよう。

北欧の建築家、アルネ・ヤコブセン

アルネ・ヤコブセンは、デンマークのコペンハーゲンに生まれた建築家でありデザイナーである。北欧家具や雑貨、デザイン全般に興味のある人であれば一度は聞いたことがあるだろう。彼が手掛けた建築にはホテルや銀行、市庁舎など、多くの人が利用する公共施設が多い。優れた家具や椅子も数多く設計しているが、実はそれらのプロダクトの多くは、自身の建築の完成度を高めるためにデザインされたものだったという。その柔らかいデザインとは対照的に、ヤコブセンは細部にまで妥協を許さない完璧主義者だったのかもしれない。

1872年にデンマークで創業された老舗メーカーのFritz Hansen/フリッツハンセン社。スツールのデザインはもちろんアルネ・ヤコブセン。

1941年に完成したデンマークのオーフス市にある3代目の市庁舎は、アルネ・ヤコブセンとイーレク・ムラの設計だ。

1932年にアルネ・ヤコブセンがデザインしたベルビュー・ビーチの監視塔。普遍的なデザインは主張が強すぎず、常に自然と風景に溶け込む。

やわらかい陽だまりのなかで、粛々と時を進めているstation。控えめながらも、静かにはなたれる存在感は確かなものだ。シリーズで最も大きい29cmのもの。

いかなる生活にもなじむ、荘厳ながらも優しいデザイン

ミニマリズムとモダニズムを内包した創造性あふれるヤコブセンのデザイン。全体の中に細部のこだわりを主張し、そして細部の中にも全体のこだわりが計算され尽くした、そんな作品の数々が生み出されていった。

アルネ・ヤコブセンとデンマーク最大手の電気機器製造会社のLauritz Knudsen(ラウリッツクヌーセン社)による共同プロジェクトのなかで、誰が見ても一目で時間がわかる、視認性に優れたアラビア数字のフォントインデックスを使用したプロダクトが考案された。時針と分針があれば機能を果たせるということで、大胆にも秒針を備えていない。

1943年にそのデザインが鉄道の駅構内の時計に採用される。国内の鉄道駅をきっかけにヤコブセンのデザインが急激に普及し、国民的なものとなった。

短針と長針が落とす影が美しい。

デンマークのデザインの特徴のひとつである曲線美。バウハウスの影響がみてとれる数字のフォント。いずれも普遍性を感じる。

秒針がない時計は、時間にゆとりのある貴族が好んだという説もある。

長針の絶妙なくびれと、外側に向かって反り上がる盤面。なんともいえない美しさを感じる。

アナログ時計とデジタル時計

時計を選ぶ時にはいろいろな基準と選択肢があるだろう。文字盤がアナログかデジタルかで選ぶというのもある。液晶式デジタルウォッチが世の中に登場したのが1972年。当時、時計の表示方式の革命といわれたように選択肢が一気に広がった。

情報取得の手段として考える場合、デジタルは細分化された断片的な情報を伝えてくれる。より正確な情報をシンプルかつ明確に表示することには優れているが、前後との関連や全体のなかでの位置づけを表すことには不向きだ。いっぽうでアナログは、細かい部分を把握するには少々わかりにくいが、全体のバランスや位置づけを表示し理解するには便利である。

スマホは専用の電話回線を利用して時刻を自動的に修正できる。世界中どこでも正確な時間がわかり、とても便利だ。
時間には前進と循環の両方の特性がある。大晦日に1年が終わるのは、新しい年を迎えることでの前進であり同時に帰零(きれい)でもある。針式のアナログの時計には、時間のこの二つの特性がみてとれるだろう。針が進むことで物事の前進を表し、針が頂点の12の位置に戻ることによって新しい循環(帰零)を繰り返す。そして1分という単位が進むことで秒針は再びゼロに戻り、1日という単位が進むことで時分秒のすべての単位はゼロに帰るのである。それによって時計をみつめている人は安らぎを覚えたり、リフレッシュするのかもしれない。

人と時間の歴史

いまでは庭園や建造物のオブジェとして設置されることが多い日時計も、長く人々の生活を支えた。
古代ギリシャ時代の数学者、アリストテレスは「時間はものごとに変化が起きて初めてわかるものであり、変化が起きなければ時間もない」と考えた。太陽の影の伸長を利用した日時計。桶に張られた水の流量を利用した水時計、そして今でもインテリアとしてもメジャーな存在である砂時計。いずれもアリストテレスが説いたように、何かの変化から時間の経過を読み取ることができるものだ。

確たる文明が生まれる前の遥か昔。時という概念と体系を考え出した古代の人々は、月の満ち欠けが約30日のサイクルで繰り返されることに気づき、それが12回続くと再び同じ季節が巡ってくることを経験的に理解した。この体験から得られたことは、洪水などの天災によって被害を受けた農耕民族にとって特に重要なものであったに違いない。時間という概念が、生きていくうえで欠かせない情報だったことは今も昔も変わらない。

現代人は本当に忙しいのか

混雑する都心駅構内、行き交う人の表情に余裕はないように見える。
現代人は「時間」という存在をどのように感じているのだろうか。時間の価値について、とある時計メーカーの調査によると「時間に追われている」という感覚は数年前から依然として残っており、「せわしさ感」については横ばいが続いているという。日々の生活のなかで「時間を意識して行動するか」という問いには、およそ90%が「意識して行動」と回答していた。1日が24時間ということについては、「少ない・足りない」が約60%と過半数を占めている。多くの人が、今の生活を「せわしない」と感じているのだろう。

計画をたて、スケジュール表をつくり、その通りに正確に動くことが優秀だとされる。テクノロジーが生み出されたのは、私たちの生活の余暇時間を増やすためだった。しかしテクノロジーの進展により、私たちは時間が増えて、今以上に仕事ができると考えるようになってしまったのかもしれない。時短や効率化を指南するハウツー本が売れていると聞く。効率化のために時間を管理するということに躍起になり、結果として時間に隷属してしまうのであれば本末転倒だろう。

もうすこしだけ、自分の時間と居場所を大切にしてみる

時間の流れに親しみを持つことで、毎日の過ごし方も少しずつ変わってくるのかもしれない。
最近では部屋に時計を置かない、腕時計をしない人が増えていると聞く。どうやって時間を確認しているのか?彼らに尋ねると、テレビやパソコンの画面に表示される時計やスマホで事足りるという。確かにその通りだが、個性や面白みに欠ける気がする。とりあえず空腹が満たされればいいとインスタント食品で食事を済ませたり、必要な栄養源はサプリでまかなえば良いという生活。いかにも多忙な現代人らしいといえばそうだが、それではあまりにも味気ない。

1億円の車はあっても、千円の車はないし、千円のカメラはあっても1億円のカメラはない。そう考えると時計は時間を知らせるという単機能商品でありながら、きわめて広い価格帯で展開できる珍しいものだ。100円ショップでも時計が売られているが、その品質は安かろう悪かろうではなく、正確に時を刻んでくれるから驚きだ。腕時計にお金をかける人がいれば、なんとなくその人の経済力を推し量ることができるし、少なからず誰かに見せる目的があるのかもしれない。いっぽうで壁時計にこだわりを持つということは、自分と自分の空間の質を上げてゆくという、純然たる目的が優先されている気がする。

いつもの仕事帰りに少しだけ寄り道をしてみる。街の花屋に寄り道をして自分の部屋に花を生けてみる。休日に小さなギャラリーを訪ねてみる。お気に入りのアートを見つけたら買って部屋に飾ってみる。存在しなくても生活ができるものはたくさんある。しかし、あえて自分のこだわりを見出し、お気に入りのひとつを手に入れてみる。そんな時間とコストの使い方ができるのであれば、今住んでいるその場所をもっと好きになれるかもしれない。

今度の休日は、悠然とその針を進めるstationを眺めながら、温かい紅茶でも飲んでみようか。

arne jacobsen station

size:29cm ¥44,000、21cm ¥37,000、16cm ¥33,000 いずれも税別。

公式サイト:https://arnejacobsen-time.jp/