慌ただしい年末が過ぎ、年始を迎えて仕事始めと思ったらもう2月。もうそんなに時間が経ったのかと、しばし呆然としてしまう。月日の経過は年々速くなっていくようで、一日24時間以上あれば良いのにと思う事もしばしばだ。掴みどころのないものとして存在している時間に、常に追われているような気持ちになるのは何故だろう。時には時計を意識せずに過ごしてみたい。太陽と影で時間を表す日時計がエレガントに進化したぺロカリエンテ「アンダイアル」で、異なる時の流れを感じてみよう。
時計に囲まれ、時間を常に意識する暮らし
壁時計に置時計、目覚まし時計に腕時計。見渡してみると家じゅうに時計が点在していることに気付く。PCや携帯電話でも克明に表示され、何処にいようと時刻を確認してしまうことが無意識のうちに癖になっているようだ。
それほど小まめに確認しているのだから、時間を有効活用しているのかと問われると頷けない自分がいる。時刻を認識する度にこれからすべき事を思い浮かべ、時間が足りないと感じてしまう。あれもこれもしなくては、と焦りばかりが先に立つ。
時計は暮らしに欠かせない便利な機械であるはずなのに、それに追われているような気分になるのは何故なのか。1日24時間は不変のはずなのに、昔よりも短く感じるのはどうしてだろう。
早過ぎる時間の流れを少しゆるやかに
思い返せば子供の頃は本当に一日、一年が長かった。授業時間はじれったいほど長く感じ、放課後にはたっぷりと時間があった。季節は驚くほどゆっくりと流れ、一年先の未来など想像もできなかった。
この感覚は大人になると一転し、誕生日や年の瀬などに実感する月日の流れの速さは恐ろしくさえ感じるほどだ。常に時間が足りないと嘆き、時間に縛られる日々を送るのが日常となっている。
時計を眺めることなく過ごしたのは、一体いつが最後だろう。海の向こうに見える太陽の動きをぼんやりと眺めて過ごした、南の島のビーチで過ごした数日間。時間が緩やかに過ぎていくことを実感した、新緑に包まれたキャンプ場。
時間の存在を忘れてしまう、それは自然が教えてくれる時の流れに身を委ねたとき。あの得難い感覚を再び想起させてくれるのが、ぺロカリエンテの日時計「アンダイアル」だ。エレガントな佇まいで非日常のひと時を描き出してくれるに違いない。
時間を伝える最古の機器、日時計が美しく進化した「アンダイアル」
太陽の動きから時刻が分かる日時計は、諸説あるものの紀元前3500年頃のエジプトが始まりと言われ、時間を伝える世界最古の機器として知られている。投影棒と呼ばれる棒(グノモン、もしくはノーモン)に日光が当たり、地面や平板、または台座に映し出された影が示した場所で、時間を大まかに表すものだ。
この仕組みは古代ギリシャに伝わり、紀元前293年にはローマで最初の日時計が作成されたと言われている。ローマ人は時間を会議に適切に使用するため、一日を12時間に分割し、午前と午後の二つに分けた。
ラテン語で正午(middle day)を意味するメリディアム(meridiem)。これにラテン語で「前/before」を意味するアンティ(ante)、「後/after」を表すポスト(post)を付け、正午以前=アンティ・メリディエム、正午以降=ポスト・メリディエムと呼んだ。これが現在の午前(A.M.)と午後(P.M.)として知られている。
中世のイスラム教徒は更に日時計を発展させて祈りの時間を記し、この方法は12〜16世紀のヨーロッパの修道院でも活用された。14世紀初頭に機械式時計が生まれ、その精度と正確性が受け入れられた19世紀半ばまで、日時計は常に使用されてきたのだった。
「分かりやすくて、親しみやすい」。そんなコンセプトを持つプロダクト・ブランド、ぺロカリエンテが展開している日時計「アンダイアル」は、無垢の金属と円柱レンズの透明アクリルを組み合わせ、斜めに自立する構造となっている。
通常の日時計(Sundial)に対し、文字盤(dial)が無い(un)ことから名付けられたアンダイアル(undial)。直射日光が当たる場所に置くと、日光が円柱レンズを通り、透明アクリル部分の影の中央に時刻が示される仕組みとなっている。
透明な円柱と金属のコントラストが美しく、シンプルな直線が活きたフォルムは雨天や日光が当たらない夜間でも、室内を彩る特別なオブジェとして輝きを放ってくれるだろう。
日時計だけで過ごす休日を
時計が本当に必要なのは仕事や待ち合わせ等、すべき予定がある場合。ならば予定のない休日、そして日時計を使用する際に不可欠である太陽が差し込む晴れた日に、時計を見ない一日を過ごしてみることにした。
まずは前夜に家じゅうの時計をしまい、起床してから陽が落ちるまでそれらを見ずに過ごすと決めた。PCや携帯電話を見てしまうと時刻が目に入るので、こちらも夕刻までシャットダウン。
正直、時計を見ない一日の始まりは不安であった。起床後から就寝まで時計を確認し、電子機器を使用するのが日課だから落ち着かない気分が拭えない。だが必要な家事を済ませ、軽い食事を済ませてからはようやく時計を確認しないことに慣れてきた。
テーブルの上にアンダイアルを置き、それを時々眺めつつ、差し込む陽射しの元で本を読む。物語に入り込み、ページをめくっていくほどに時間の概念が遠ざかっていくようだ。そういえば、太陽の存在をこんなに身近に感じたのはいつの事だろう。習慣のひとつに過ぎない読書の時間が、何故だかとても贅沢に感じてしまう。
時刻を気にせずじっくりと本の世界に向かい合う。冬の儚げな太陽が傾く頃に、アンダイアルがテーブルに描く影はいつの間にか見えなくなった。
太陽が作り出す光と影に身を委ねて
大人になると時間の感覚が変化するのは、子供時代に比べ未知の体験が減るためだという説がある。毎日同じ生活を繰り返していると一日、一年が終わるのはあっという間。ならば暮らしに小さな非日常を取り入れてみたい。
忙しい日々の中、時間が足りない、時間に追われていると焦燥感を感じたら、いつもの日常から少し離れてみてはどうだろう。見知らぬ人と出会ったり遠くへ行く必要はない。ある晴れた休日に、時計を見えない場所にしまい、電子機器から遠ざかる。
時計を視覚と意識から排除して、好きなことだけをして過ごしながら、アンダイアルが穏やかに時間を描くのを眺めてみよう。先の事ばかり考えて焦る気持ちを脇に置き、忘れられた過去に想いを馳せて。時を刻む音のない静寂な空間の中で、太陽の流れに心を委ねて。
UNDIAL
CURATION BY
1992年渡英、2011年よりスコットランドで田舎暮らし中。小さな「好き」に囲まれた生活を求めていたら、夏が短く冬が長い、寒い国にたどり着きました。