Vol.394

KOTO

25 NOV 2022

五感の隅を意識する。自分をより大切にするために、小さなアップデートを。

丁寧な暮らしという言葉をよく聞くようになって久しいが、私はこの言葉に出会うたび、丁寧ってなんだろうと考える。SNSで見かけるそういう暮らしは、たいていミニマルでシンプル。デザイナーズインテリアや無添加の食材、天然繊維の服など、身の回りのものにとことんこだわっている。もちろんそれらに囲まれた生活は丁寧な暮らしなのだろう。しかし丁寧であるために大切なことは、他にもある気がするのだ。今回は、日常により丁寧に向き合うためのほんのささやかな意識についてお話ししたい。私が考えたのは、五感の「中心」ではなく「隅」を意識する、小さなアップデートだ。

お金をかけないアップデート

アップデート:①最新の。現代的な。②データを最新のものに更新すること
まずはアップデートという言葉について考えてみよう。【アップデート】と辞書で引くと、こんなふうに書いてある。『最新の。現代的な』。 あるいは、『データを最新のものに更新すること』。

なるほど、たしかにスマホのバージョンアップデートなどで聞き馴染みのある言葉だが、それでは暮らしにおいてはどのような使い方がされるだろう。次のような使い方を、例に挙げてみたい。

「今までユニクロで買っていた白いTシャツを、ブランドものにアップデートした」

これまでお金をかけてこなかったものに、お金をかけてみる。これは立派なアップデートだと言えそうだ。

しかしここで話したいのは、お金をかけるアップデートについてではない。何かをより高額なものに変えるのは確かにアップデートであり、満足感を得られるが、それだけの暮らしはつまらないと私は思う。

先の【アップデート】の意味から、『データを最新のものに更新すること』という言葉に注目してみたい。そしてこれを、『自分を最新のものに更新すること』と言い換えてみよう。自分を、最新のものに更新すること…。日常に向き合い、本当の意味で丁寧な暮らしを手に入れるために、大きなキーワードとなりそうだ。

今日、いま、最新の自分と向き合う

視界の隅を意識して、普段からコースターを使う
最新の自分に更新する…。それはつまり、今日、いま、この時を生きている自分に向き合うという作業なのではないだろうか。「私はいま何を考えている?」そんなふうに自分に問いかけてみること。その思考そのものや、考えを精査する時間こそが何より大切であり、暮らしのアップデートに繋がるような気がする。

さて、このような経験はないだろうか。世の中の流行や、あるいは少し前に自分が大切にしていた価値観が、とつぜん窮屈になったこと。そしてそんな時、ちょっとだけ無理をして、これまでの自分に合わせようとしたこと。

私にも経験があるのだが、そのような小さな違和感を無視せず、うつろいゆく自分自身を認め、いま本当に心地よいと思うものを素直に取り入れたり行動をしてみたりするところに、アップデートが潜んでいるように思う。

そしてもう少し詳しく述べるならば、いまの自分の五感の「隅」を意識するという作業こそ、この記事で私がもっとも伝えたいことだ。

五感の「中心」ではなく「隅」にあるものたち

丁寧な暮らしについて再考する
あえて「隅」と表現したのは、本当ならばあってもなくても分からないようなもの、変わっても変わらなくても気が付かないようなものにこそ、自分を心地よくする何かを見出せると考えるからだ。

先ほど“うつろいゆく自分自身を認め”と述べたが、我々人間はある意味刹那的な存在だと、私は思っている。望もうが望むまいが、私たちは日々変化しているのではないだろうか。

そしてそんな日々の変化は、五感の「隅」で静かに起こっているものだと思うのだ。これが良い、とはっきり言えないようなところに、隠れているもの。そういうところに目を向けてあげることが、もう少しだけ自分を大切にするきっかけになるのかもしれない。

視界の隅にオブジェを飾ってみる
ここからは、これまでにお話した意識をもって私が実際に行ったアップデートを、写真を交えてご紹介していきたい。

まずは、部屋の隅に置かれた猫の餌入れとしてのタッパー。最近リビングを見渡していたときに、私はちょっと違和感を感じた。今まで気にならなかったものが、急に暮らしのノイズになってしまったのだ。そこで容れ物を琺瑯(ほうろう)に変えたところ、すごく気持ちがよくなった。なんでもない白、しかも一日のうちに何度も見るものでもないけど、チラッと視界に入るたびに、いまの自分の美意識を大切にできている気がする。

チラッと視界に入るものだからこそ、ノイズのないものを
次にティッシュケース。何の変哲もなかったものを、ちょっと可愛いデザインのものに変えてみる。少し前まではシンプルなデザインの方が好みだったけれど、いまは使うたびに笑顔になるこのティッシュケースがとても気分に合っているようだ。

目にとまるたびに笑顔になる、ブナの木でつくられたクマのティッシュケース
他にも、剥き出しのリモコンを手作りのリモコンスタンドに仕舞うようにしたり、机の上の雑多な文房具たちをお道具箱にまとめてみたり。

夫に頼んで作ってもらったレザーのリモコンスタンド

色々なものを入れておけるお道具箱は、大好きな青色をチョイス
ボロボロな取っ手が気になっていた大切なバッグには、手作りのレザーカバーをつけた。実は少し前までこのボロボロがかっこいいと思っていたのだけど、やはり価値観は変化する。ささやかな変化だけど、見た目も触り心地も良くなった。

大切に長く使いたいものだからこそ、ちょっとした工夫を
…と、ここまではある意味お金もかかっているが、お金のかからないアップデートも。

たとえば部屋に飾っている絵の並びを変えてみる。赤と青が入れ替わるだけで、今日の自分によりしっくりきたりする。

いま素敵だと思う配置に
食にしてもそうだ。パスタを事前に水につけておくという一手間を加えたり、お鍋でお米を炊くようにしたり。

パスタは水につけておくと、もっちりとした食感に

炊飯用鍋で毎晩ご飯を炊く。最近は麦を混ぜて
どれも五感のほんの片隅にあるものたちだが、ちょっと変えるだけでこんなに気分が良くなるのかと、私は感動した。視界に入るたび、触れるたび、口に入れるたび、少しだけ嬉しくなる。それらは他人には気付かれないような地味な変化だと思う。しかしその変化によって、なんというか、心がじんわり温かくなるのだ。

それはきっと、常に暮らしの中心にあるものではないからこそ得られる感動なのだと思う。自分のアイデンティティとも呼べないような、まだかたちづくられていないふんわりとした価値観。何が美しい?何が気持ちいい?何が良い香りで、何がおいしい?…ふとした瞬間いまの自分に問いかけて、ついスルーしてしまいそうな部分を、丁寧に描いてあげる。その積み重ねで、暮らしの表情はぐっと豊かになるのかもしれない

水を飲むというほんの一瞬も、気分の上がるグラスで

自分をより大切にするため

その時々で五感の隅を意識し、いまの自分自身を大切にすることは、日常により丁寧に向き合うことに繋がるのではないだろうか。お金をかけなくてもいい。うつろいゆく自分を受け入れ、誰も気が付かないくらいの小さなアップデートを日々積み重ねることで、私たちは、より心地よい暮らしを手にできるのかもしれない。

ものすごく当たり前のことを書いたような気もするが、家にいる時間もまだまだ長い今日、改めてそういうことについて考えてみよう。「私はいま何を考えている?」目をゆっくりと閉じ、そして開けたときに感じるものに、正直になってみたい。