お金をかけないアップデート
なるほど、たしかにスマホのバージョンアップデートなどで聞き馴染みのある言葉だが、それでは暮らしにおいてはどのような使い方がされるだろう。次のような使い方を、例に挙げてみたい。
「今までユニクロで買っていた白いTシャツを、ブランドものにアップデートした」
これまでお金をかけてこなかったものに、お金をかけてみる。これは立派なアップデートだと言えそうだ。
しかしここで話したいのは、お金をかけるアップデートについてではない。何かをより高額なものに変えるのは確かにアップデートであり、満足感を得られるが、それだけの暮らしはつまらないと私は思う。
先の【アップデート】の意味から、『データを最新のものに更新すること』という言葉に注目してみたい。そしてこれを、『自分を最新のものに更新すること』と言い換えてみよう。自分を、最新のものに更新すること…。日常に向き合い、本当の意味で丁寧な暮らしを手に入れるために、大きなキーワードとなりそうだ。
今日、いま、最新の自分と向き合う
さて、このような経験はないだろうか。世の中の流行や、あるいは少し前に自分が大切にしていた価値観が、とつぜん窮屈になったこと。そしてそんな時、ちょっとだけ無理をして、これまでの自分に合わせようとしたこと。
私にも経験があるのだが、そのような小さな違和感を無視せず、うつろいゆく自分自身を認め、いま本当に心地よいと思うものを素直に取り入れたり行動をしてみたりするところに、アップデートが潜んでいるように思う。
そしてもう少し詳しく述べるならば、いまの自分の五感の「隅」を意識するという作業こそ、この記事で私がもっとも伝えたいことだ。
五感の「中心」ではなく「隅」にあるものたち
先ほど“うつろいゆく自分自身を認め”と述べたが、我々人間はある意味刹那的な存在だと、私は思っている。望もうが望むまいが、私たちは日々変化しているのではないだろうか。
そしてそんな日々の変化は、五感の「隅」で静かに起こっているものだと思うのだ。これが良い、とはっきり言えないようなところに、隠れているもの。そういうところに目を向けてあげることが、もう少しだけ自分を大切にするきっかけになるのかもしれない。
まずは、部屋の隅に置かれた猫の餌入れとしてのタッパー。最近リビングを見渡していたときに、私はちょっと違和感を感じた。今まで気にならなかったものが、急に暮らしのノイズになってしまったのだ。そこで容れ物を琺瑯(ほうろう)に変えたところ、すごく気持ちがよくなった。なんでもない白、しかも一日のうちに何度も見るものでもないけど、チラッと視界に入るたびに、いまの自分の美意識を大切にできている気がする。
ずっと、一緒に。L.L.Beanのボート・アンド・トート・バッグ|ZOOM LIFE
たとえば部屋に飾っている絵の並びを変えてみる。赤と青が入れ替わるだけで、今日の自分によりしっくりきたりする。
それはきっと、常に暮らしの中心にあるものではないからこそ得られる感動なのだと思う。自分のアイデンティティとも呼べないような、まだかたちづくられていないふんわりとした価値観。何が美しい?何が気持ちいい?何が良い香りで、何がおいしい?…ふとした瞬間いまの自分に問いかけて、ついスルーしてしまいそうな部分を、丁寧に描いてあげる。その積み重ねで、暮らしの表情はぐっと豊かになるのかもしれない
自分をより大切にするため
ものすごく当たり前のことを書いたような気もするが、家にいる時間もまだまだ長い今日、改めてそういうことについて考えてみよう。「私はいま何を考えている?」目をゆっくりと閉じ、そして開けたときに感じるものに、正直になってみたい。