Vol.234

KOTO

14 MAY 2021

1足1万円の靴磨き職人が革命を起こす「靴磨き道」の奥深き世界

愛用の靴だからこそ、長い年月をかけて愛でる楽しみがある。そして靴好きならば、セットで靴のケアも好きな人は多いだろう。いい靴であればあるほど、革本来の風合いや色ツヤを楽しみたくなるものだ。今回は、そんな靴好きの間ではよく知られる、東京・南青山の高級靴磨きラウンジ「Brift H(ブリフトアッシュ)」を紹介したい。路上の靴磨きの相場が、500円〜というなかで、同店ではマスタークラスの職人を指名すると、6,600円。割高に感じるかもしれないが、アンティーク什器に囲まれた雰囲気ある店内で約1時間かけて熟練の職人が美しく磨き上げてくれる。他にはない贅沢なひとときが味わえるとあってリピーターも多い。そんな同店のトップ職人で、オーナーである長谷川裕也氏に靴磨きの持つ、奥深い魅力について話を聞いた。

南青山の骨董通りに店舗を構える長谷川裕也氏

路上で500円の靴磨きをしながら、靴磨きの世界王者に

20歳の頃、日当7,000円の日雇い労働で暮らしていた長谷川氏。あるとき、3日ほど仕事のない日が続き、全財産が2,000円になってしまった。そこで、2,000円を元手にすぐに現金化できる仕事を考えた末にトライしたのが、路上での靴磨きの仕事だった。これまで雇われて得ていた日給と同じ金額を、自分のアイデアひとつで稼げたことが、成功体験につながった。以来4年弱、路上で靴磨きを続けるなかで、さまざまな気づきや発見を得て、技術を磨いていったという。

重厚感あるアンティーク什器が来る人の目を楽しませてくれる

顧客は美容院に行くような感覚で訪れるという
修業の末、2008年、24歳の若さで東京・南青山に靴磨き専門店「Brift H」をオープン。路上や店頭での靴磨き代の相場は5〜10分で500円、高くても1,500円というなかで、同店の料金は、メンズシューズの場合、約1時間で3,000〜4,000円(納期によって異なる)。さらに1,000〜2,000円をプラスオンすれば、シニアクラスやマスタークラスの熟練した職人を指名することができる。開業時は1,500円からスタートし、顧客の信頼を獲得しながら現在の値段になったという。

利用者は、30代半ば〜50代の男性が中心で、これまでは経営者や外資系企業のビジネスパーソンが多かったが、近年は20代の靴好きが増えているという。とくに若い世代は、古い時代の靴磨きへの固定概念がないため、愛用の靴のスペシャルケアとして、2〜3カ月に1度、定期的に美容院に行く感覚で利用する人が多い。

対面での靴磨きは完全予約制。まるでバーラウンジのような、高級感のある落ち着いた内装の店内では、カウンター越しに職人とたわいもない話をしながら、リラックスしてサービスを受ける。“靴好き”というマイノリティが集まるので、マニアックな靴談義が楽しめるのも同店ならでは。

「靴を単純に磨きに来るだけでなく、上質で気持ちいい“体験”を買いに来る人が増えています。利用するタイミングとして多いのは、就職や転職など新たな門出や結婚記念日に奥さんから靴をプレゼントされて、数年後にはそのメンテナンスで靴磨きをプレゼントされるようなケースもあります」と長谷川氏は言う。

これまでに8万足以上の靴を磨きながら、技術を向上させていった
2017年には、ロンドンで初めて開催された「靴磨き世界選手権」に出場し、見事優勝を果たした。

「靴文化の本場である欧米の大会で、日本人が優勝するハードルは高いと思いました。仮に優勝できなかったとしても、磨きの所作にもこだわり、僕のスタイルが美しかったといわれるように、日本人らしく、細やかな靴磨きを心がけました」

長谷川氏は、作法ひとつひとつに意味があり、形式美として確立している“茶道”を靴磨きに取り入れた。これまで培ってきた、靴をきれいに磨き上げ、光らせることだけでなく、そのプロセスやスタイルにもこだわりたいと考えたのだ。

茶道の所作も参考にしたという、美しく無駄のない磨き方が長谷川氏のスタイル
その“魅せ方”は、同店のラウンジでも存分に活かされている。長谷川氏の動作をよく見ると、対面で靴磨きをする際、かならず手元の作業がお客さんからわかりやすく見えるように、靴や用具を持ち替えるといった工夫をしているのだ。

とはいえ、時間をかければいいというものではないのが、靴磨きの世界。高いクオリティであるのはもちろんだが、1時間かけて仕上げるよりも、30分で仕上げるほうに価値がある。そのため、いかに早く、丁寧に仕上がるかを追究した結果、必然的に無駄な動きがなくなり、動作が研ぎ澄まされていったという。

世界が認めた靴磨きのエッセンス

そもそも靴を磨く基本的な目的について、「靴の寿命を延ばし、見た目をきれいにすること」と説く長谷川氏。靴磨きのゴールは、靴をピカピカにすること。一見、ゴールは同じでも、路上の靴磨きとの歴然とした違いがある。路上の靴磨きでは、短時間で靴の見た目をきれいにすることに比重が置かれるため、靴を長持ちさせることは目的とされない。

しかし、革靴はコラーゲン繊維のかたまりなので、油分と水分を補わないと硬くなって割れが生じてしまう。そのため、人のスキンケアに近いケアで靴の寿命を延ばし、気持ちよく履けるように仕上げることが重要となる。そうした点をふまえた上での長谷川氏流の基本の靴磨きは、1〜3の「シューケア」から4以降の「シューシャイン」まで、以下の10工程を作業する。

1. ひもやバックルを外す
2. ホコリを落とす
3. クリーナーで拭き取る
4. クリームを塗る
5. クリームをなじませる
6. 余分なクリームを拭き取る
7. ワックスを塗る
8. 水をつけて磨く
9. 磨きを繰り返す
10. 最後は水だけで磨く

磨くことに意識が偏りがちだが、汚れを落とすプロセスも疎かにはできない
「プロにお願いするのは数か月に1度だとしても、日頃からのケアが大事」なことは言うまでもない。自宅で手軽にできる最低限のシューケアについて聞くと、「靴のホコリを払い、靴クリームを塗って、から拭きするだけでもOK」とのこと。「靴用ブラシやクリームが家にない場合、使い古しの歯ブラシや肌に塗るクリームを塗っても代用は可能」なので、最低限、まずはここから始めたい。

また見落としがちなのが磨く前の汚れ落とし。「靴をピカピカに磨くことばかりに気をとられて、靴墨やクリームを厚塗りしてしまう人も多く見受けられます。それを防ぐには、最初にしっかり汚れを落とすことが重要。メイクでいえば、洗顔やメイク落としも丁寧にやるのと同じです」

指にクリームを取り、丁寧に塗り込んでいく

職人目線のオリジナルアイテムを開発

同店では、最上の靴磨きを提供するために、使用するアイテムにもこだわっている。靴磨きの3大工程「汚れ落とし」「栄養補給」「艶出し」を目的とした、長谷川氏が手がけたオリジナルアイテムは靴磨きのプロから靴好きまで幅広い層に愛用されている。

店頭だけでなくオンラインショップでも購入可能
まずはホコリをとるための馬毛ブラシ(1万1,000円)。これは、日本橋の老舗刷毛店「江戸屋」に別注したもの。職人による手植えでギュッと目の詰まった毛量が特徴だ。さらに、汚れを落とすためのアイテムが、クリーナー(1,540円)。それからクリームを塗り込むための江戸屋別注の豚毛ブラシ(8,800円)。靴用クリーム(3,300円)は、長谷川氏が何万足も磨いた末にたどりついた究極の靴クリームで、革靴の寿命を延ばすことを一番に考えて、化粧品会社と共同開発したものだ。

世界一の職人が認めたアイテムにもストーリーが
最後にツヤ出しに使うのが、ワックス(1,760円)と赤い布(1,100円)。ワックスひとつとっても、鏡面磨きがすばやくできるように、ロウ成分を最大限まで高めて作られたほか、職人ならではのこんなこだわりも。

「プロの靴磨き職人は、表面が揮発して割れてきたワックスをあえて使います。一般の方は割れてきたら捨ててしまう人も多いと思いますが、割れて成分が凝縮されている方が、実は磨きやすいんです。そのため、割れたものと同レベルでロウ分の高いワックスを作りました」

布はまるでピアノの鍵盤カバーのような質感だが、靴磨きに適した毛羽立ちにくく、毛玉になりにくいネル生地を使用している。

ちなみにブラシは、1本ずつ職人の手仕事で作られるため、1か月に作れる上限は30本程度だそう。量産できないこともあり、毎月同店のオンラインショップで販売開始するや、わずか1分足らずで完売する超人気アイテムだ。

靴磨きの価値をアップデートして、「靴磨き道」を確立したい

長谷川氏が現在のスタイルを築くもうひとつのきっかけは、路上での靴磨き修業時代、ブランディングを手がけるある経営者から、「カッコ悪いね」と言われてショックを受けたことにあった。

「そんなふうに座って背中を丸めてやるのではなく、プロらしく美容師のように立ってやってみたら?」というアドバイスが、カウンター越しの靴磨きスタイルを生み出した。また、南青山に店を構えるにあたっても経営者からの「靴磨きの単価を1万円にするにはどうする?」という問いが、これまでの靴磨きの常識を覆すきっかけにもなった。

当時は路上で500円、ウェブサイトでは1,000円で靴磨きサービスをしていた長谷川氏。靴磨き職人としては最高峰といわれる人でも、1,500円という世界だった。逆に1万円を支払ってもお客さんに満足してもらえるスタイルを真剣に考えるようになったという。

そのときの問いに挑む意味もあり、最近、長谷川氏は自身の靴磨き料金を1万円に上げた。3年後に現場に立つ職人としては引退予定だが、40歳からは靴磨きをあらゆる事業に展開していくという。今年は初の海外店として、タイへの出店も決定している。

長谷川氏が目指すのは、靴磨きをひとつの“道”にすること。

「茶道の世界は、千利休によって茶の湯の世界から侘茶のスタイルが築かれました。そうやってどこかで物事の価値を変えた人がいます。僕が靴磨きと出会ったことで、茶道や柔道、弓道などのように“靴磨き道”を作って、靴磨きの世界をもっと上のステージにアップデートし、靴磨き職人の地位を底上げしていきたいと考えています」

編集スタッフが10年ほど履いている靴も見違えるほど、美しい仕上がりに
おしゃれは足元から。愛用の靴が輝きを増せば、自身の佇まいも自然と凛々しくなるだろう。身だしなみの一つとして「Brift H」でプロに愛用の靴を委ねれば、ヘアサロンを利用した後のようなリフレッシュ感が味わえるはずだ。

長谷川裕也

1984年千葉県生まれ。20歳の時に東京駅丸の内の路上で靴磨きを始める。その後、日本初の靴磨き専門サイト「靴磨き.com」を立ち上げ、2008年に東京・南青山に靴磨き専門店「Brift H」をオープン。2017年ロンドンで初開催された靴磨き世界大会で初代王者に

Brift H

東京都港区南青山6-3-11 PAN南青山204
TEL: 03-3797-0373
営業時間:12:00~20:00(平日)、11:00~19:00(土日祝日)
定休日:火曜日
https://brift-h.com/

撮影/林 紘輝