路上で500円の靴磨きをしながら、靴磨きの世界王者に
利用者は、30代半ば〜50代の男性が中心で、これまでは経営者や外資系企業のビジネスパーソンが多かったが、近年は20代の靴好きが増えているという。とくに若い世代は、古い時代の靴磨きへの固定概念がないため、愛用の靴のスペシャルケアとして、2〜3カ月に1度、定期的に美容院に行く感覚で利用する人が多い。
対面での靴磨きは完全予約制。まるでバーラウンジのような、高級感のある落ち着いた内装の店内では、カウンター越しに職人とたわいもない話をしながら、リラックスしてサービスを受ける。“靴好き”というマイノリティが集まるので、マニアックな靴談義が楽しめるのも同店ならでは。
「靴を単純に磨きに来るだけでなく、上質で気持ちいい“体験”を買いに来る人が増えています。利用するタイミングとして多いのは、就職や転職など新たな門出や結婚記念日に奥さんから靴をプレゼントされて、数年後にはそのメンテナンスで靴磨きをプレゼントされるようなケースもあります」と長谷川氏は言う。
「靴文化の本場である欧米の大会で、日本人が優勝するハードルは高いと思いました。仮に優勝できなかったとしても、磨きの所作にもこだわり、僕のスタイルが美しかったといわれるように、日本人らしく、細やかな靴磨きを心がけました」
長谷川氏は、作法ひとつひとつに意味があり、形式美として確立している“茶道”を靴磨きに取り入れた。これまで培ってきた、靴をきれいに磨き上げ、光らせることだけでなく、そのプロセスやスタイルにもこだわりたいと考えたのだ。
とはいえ、時間をかければいいというものではないのが、靴磨きの世界。高いクオリティであるのはもちろんだが、1時間かけて仕上げるよりも、30分で仕上げるほうに価値がある。そのため、いかに早く、丁寧に仕上がるかを追究した結果、必然的に無駄な動きがなくなり、動作が研ぎ澄まされていったという。
世界が認めた靴磨きのエッセンス
しかし、革靴はコラーゲン繊維のかたまりなので、油分と水分を補わないと硬くなって割れが生じてしまう。そのため、人のスキンケアに近いケアで靴の寿命を延ばし、気持ちよく履けるように仕上げることが重要となる。そうした点をふまえた上での長谷川氏流の基本の靴磨きは、1〜3の「シューケア」から4以降の「シューシャイン」まで、以下の10工程を作業する。
1. ひもやバックルを外す
2. ホコリを落とす
3. クリーナーで拭き取る
4. クリームを塗る
5. クリームをなじませる
6. 余分なクリームを拭き取る
7. ワックスを塗る
8. 水をつけて磨く
9. 磨きを繰り返す
10. 最後は水だけで磨く
また見落としがちなのが磨く前の汚れ落とし。「靴をピカピカに磨くことばかりに気をとられて、靴墨やクリームを厚塗りしてしまう人も多く見受けられます。それを防ぐには、最初にしっかり汚れを落とすことが重要。メイクでいえば、洗顔やメイク落としも丁寧にやるのと同じです」
職人目線のオリジナルアイテムを開発
「プロの靴磨き職人は、表面が揮発して割れてきたワックスをあえて使います。一般の方は割れてきたら捨ててしまう人も多いと思いますが、割れて成分が凝縮されている方が、実は磨きやすいんです。そのため、割れたものと同レベルでロウ分の高いワックスを作りました」
布はまるでピアノの鍵盤カバーのような質感だが、靴磨きに適した毛羽立ちにくく、毛玉になりにくいネル生地を使用している。
ちなみにブラシは、1本ずつ職人の手仕事で作られるため、1か月に作れる上限は30本程度だそう。量産できないこともあり、毎月同店のオンラインショップで販売開始するや、わずか1分足らずで完売する超人気アイテムだ。
靴磨きの価値をアップデートして、「靴磨き道」を確立したい
「そんなふうに座って背中を丸めてやるのではなく、プロらしく美容師のように立ってやってみたら?」というアドバイスが、カウンター越しの靴磨きスタイルを生み出した。また、南青山に店を構えるにあたっても経営者からの「靴磨きの単価を1万円にするにはどうする?」という問いが、これまでの靴磨きの常識を覆すきっかけにもなった。
当時は路上で500円、ウェブサイトでは1,000円で靴磨きサービスをしていた長谷川氏。靴磨き職人としては最高峰といわれる人でも、1,500円という世界だった。逆に1万円を支払ってもお客さんに満足してもらえるスタイルを真剣に考えるようになったという。
そのときの問いに挑む意味もあり、最近、長谷川氏は自身の靴磨き料金を1万円に上げた。3年後に現場に立つ職人としては引退予定だが、40歳からは靴磨きをあらゆる事業に展開していくという。今年は初の海外店として、タイへの出店も決定している。
長谷川氏が目指すのは、靴磨きをひとつの“道”にすること。
「茶道の世界は、千利休によって茶の湯の世界から侘茶のスタイルが築かれました。そうやってどこかで物事の価値を変えた人がいます。僕が靴磨きと出会ったことで、茶道や柔道、弓道などのように“靴磨き道”を作って、靴磨きの世界をもっと上のステージにアップデートし、靴磨き職人の地位を底上げしていきたいと考えています」
Brift H
TEL: 03-3797-0373
営業時間:12:00~20:00(平日)、11:00~19:00(土日祝日)
定休日:火曜日
https://brift-h.com/
撮影/林 紘輝