720mlと300ml、ともに年間1200本だけの限定生産。デビューして、わずか2年目で「ロンドン酒チャレンジ2018銀賞」「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2018入賞」を果たし、3年目になる2019年は「フランスKura Master2019」と「ロンドン酒チャレンジ2019」でダブル金賞を受賞した日本酒『本菱(ほんびし)』。120年前に忽然と姿を消した幻の酒を復活させたのは、まったくの素人だった。
人のつながりで生まれた、ご縁のお酒。
本菱復活をプロデュースしたのは、むすび株式会社の代表、深澤了氏。普段は酒造りをしているわけでも、飲食関係の仕事をしているわけでもない。企業や商品、採用のブランド構築を手がけるブランディング・ディレクターである。そんな彼がなぜ日本酒?と思い、話を聞いてみると、運命に導かれるようにつながるストーリーがあった。
「本当に偶然でした。ちょうど以前勤めていたブランディング会社を辞めて、独立した4月。父が本菱の刻印と慶応3年に書かれたという酒蔵の図面を見つけてきたんです」
実家が造り酒屋だったことはもちろん知っていた。おぼろげながら、いつか復活させるのもいいかもしれない、とは思っていた。そんな深澤氏にとって、独立のタイミングで起きたこの偶然は、運命のようにも感じたのだという。
「やれ、と言われている気がしました。実は地元の山梨県富士川町(旧鰍沢町)は、かつて酒蔵の多い町だったんです。江戸時代、旧鰍沢町は山梨の物流拠点。山梨県・長野県の年貢米が集まり、富士川舟運によって駿河湾に運ばれ、江戸に献上されていた町。お米が集まる場所のため、自然と酒蔵ができたのでしょう。そのうちの一軒が実家の酒蔵で、調べてみると全盛期には上位2位に入る売上でしたから、本菱は比較的愛されている日本酒だったようです」
120年前に消えた日本酒を復活させよう、過疎化が進む地元に貢献しようという想いはあるものの、当時の造り方は残っていない。しかも自分は酒造りなどしたことがない。あるのは、ブランディングに関する知見。ならば、このスキルを使って造ろうと考え、2016年、“まちいくふじかわプロジェクト”がスタートした。
「自分のために造るわけではないので、クラウドファンディングでプロジェクトメンバーを集うことにしました」
まちいくプロジェクトとは、その町の魅力を発掘し、みんなで育てることで地域活性に貢献しようというプロジェクト。募集には町内・県外から30人以上の人が集まった。まずは富士川町の魅力を洗い出し、ターゲットのペルソナを考え、どんなミッションをもったブランドにするか、そのためにどんな味にすべきかなど、本菱に込めるストーリーをひとつずつメンバーと議論していった。
通常、酒造りには山田錦という米を使うことが多い。全国新酒鑑評会で受賞する酒の多くで使われており、全国で3万トンが生産されている。しかし、自分たちが造りたいのは正真正銘地元の酒。この土地の酒米がないか探したところ、玉栄という品種を栽培する農家があることを知った。
「たった650トンしか生産されていない希少な酒米なんです。中学時代の同級生が町役場で働いていましたので、彼に相談して農家をご紹介いただき、想いを伝えに行きました」
町のため、という熱意に共感いただけたのだろう。酒米を分けてもらえるようになっただけでなく、富士川町で唯一残っている酒蔵を紹介してもらうこともできた。萬屋醸造店というそのお店は、1790年(寛政2年)創業。身延山詣での際に与謝野晶子が宿泊場所として使用したと言われる歴史ある酒蔵だ。
水も当然、地元の水にこだわった。旧鰍沢町は、かつて江戸の将軍様に献上する氷をつくっていた町だという。米も水も、この町のもの。そして萬屋醸造店は空調設備などない、自然の寒さを生かして仕込む、昔ながらの蔵。もしかしたら120年前と同じような造り方なのかもしれないと、深澤氏の話を聞いて思った。
キンキンに冷やして、ワイングラスで楽しもう。
設定したターゲットは、“地方から東京に出てきてがんばっている30代前半の女性”だという。そんな話を萬屋醸造店の杜氏さんにしたところ、「それならば最新酵母の1901号を使ってはどうか」とアドバイスいただいたそうだ。個性が強いため、一般的には使われないものの、非常に香りが立つ酵母である。おすすめは、キンキンに冷やして、ワイングラスで飲むこと。フルーティーな味わいと華やかな香りが味わえるはずだ。また、お酒が好きな方に食中酒として楽しんでもらうため、キレのある味をめざしたという。できるかぎり水を加えず、アルコール度数は17度。通常は14〜15度なので、確かにドライ。いろんな料理に合わせやすく、飽きのこない味になっている。
なお、ちょっとした発見なのだが、2018年と2019年を飲み比べると2018年の方が味も濃い。発酵、熟成が進んでいるからだろう。フレッシュなのは、2019年。出荷した年によって味わいが違うのも、なんだかワインのようで面白い。
※酒をつくる職人集団の長
日本酒の味わい方とは、その町の物語を想像することかもしれない。
味わいに似て、ラベルも華やかだ。もしかしたらここにも何か意味があるかもしれないと思い、深澤氏に尋ねると、やはり深いストーリーがあった。
「昔の地図を見ると、呉服屋がたくさんありました。旧鰍沢町は物流の拠点であると同時に、身延山詣でに来る人たちが泊まった宿場町。これはあくまで想像ですが、夜のお店もたくさんあったのではないか。実際に、花街があったこともわかっているんです」多くの人で賑わい、艶やかな夜の光の中を、芸者さんたちが歩いていた町。だからきっと、着物をあつかう呉服屋があったのだろう。日本酒を飲む、ということは、その町の物語を味わうことなのかもしれない。
「女性がターゲットですし、ラベルは着物のような千代紙を使うことにしました。しかも桜が舞っているような柄。ここにも理由があります」と深澤氏。というのも、富士川町には山梨県で唯一、桜の名所100選に選ばれた場所があり、桜は町の花になっているという。山梨県内でも知る人ぞ知ると言われるその場所は、大法師公園。春、2000本の桜が満開になる様子は圧巻だそうだ。
「富士山も特徴ですね。ちょうど元日、富士川町からはダイヤモンド富士が見えるんです」という。そのため31日には、日本中から写真家が集まるらしい。なんとも縁起のいいお酒である。「だからロゴマークは、上の方に着物を着た女性が振り返っている姿を描き、真ん中に桜、下の方にはダイヤモンド富士をあしらっています」とのこと。まさに甲州富士川と銘打つラベルにふさわしい意味が込められていた。
そしてもうひとつ、この話には続きがある。「造りはじめて半年くらい経ったころでしょうか。後からわかったことなのですが・・・」と教えてくれた話に、鳥肌が立ってしまった。小高い山になっている大法師公園の頂上には山王神社という神社があり、そこには夫婦の神様が祀られている。実は夫の大山咋神(オオヤマクイノカミ)は全国の酒蔵が崇める松尾大社の神様であり、妻の玉依姫(タマヨリビメ)はご縁の神様。そして、この桜の名所から望む富士山の神様は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)である。桜に舞い降りる神様であり、結婚する際に、数多の神々に酒をふるまったとも言われている。たくさんの人が集い、そのご縁でつくられた本菱は、やはり復活する運命にあったのかもしれないと思った。
誰と、どんなときに飲むかで、ラベルを選ぶ。
なぜ、ラベルの色は5種類あるのか。ご縁のお酒である本菱は、誰かと飲むためにある日本酒。そこで、シチュエーションに合わせて選べるように5つの色を設定し、それぞれに名前があるのだという。たとえば赤色は“祭りの賑わい”という名前で、豪華絢爛。やはりお祝いの席で人気らしい。この赤い千代紙には山車が描かれているのだが、そこにも理由がある。かつて徳川家康の命令で富士川舟運を切り開いた門倉了以は、京都の豪商。富士川町には京都の文化が広まっていたようで、今も江戸時代から続く山車が4台あり、お祭りのときには山車を引っ張るそうだ。ほかにも、接待のときには紺色の“夜桜を楽しむ”を買い、門出には黄色の“日の出に舞う”を贈る方がいるという。ちなみに、大きな1枚の千代紙を切ってラベルにしているため、ひとつとして同じラベルはないとのこと。どんな柄と出会えるかも、ご縁なのだろう。
酒造りのストーリーに、自分も参加できる。だから格別。
本菱はいまも、人のご縁で造っているようだ。毎年プロジェクトメンバーを集い、みんなで田植えや稲刈りを行い、新酒を仕込んでいる。興味のある方は、問い合わせてみてはいかがだろうか。町の物語がつまった日本酒を片手に、大切な誰かと語らう。しかもそれは自分が関わったお酒。その味は、きっと格別だろう。
ご縁の酒 甲州富士川『本菱』
CURATION BY
音楽好きで学生時代は、朝から晩までスタジオとライブハウスに。最近は料理にはまって、ほぼ休日はそれが趣味になりつつあります。ふだんはブランディングを生業に、仕事なのか遊びなのか、境がないような生活をしています。