日本でも人気を博したマリトッツォに昔から愛されているシュークリームなど、クリームたっぷりのお菓子がもたらす幸福感といったらない。たとえうまくいかないことがあったとしても、ふわふわと盛られたクリームを見て口に含んだら、それまでの落ち込んだ気分や緊張をすっかり忘れて、骨抜きにされてしまう。そんな私のように、クリームの魔法に救われたことがある方々に、とある南仏のお菓子をご紹介したい。
クリームがふんだんに使われたトロペジェンヌ
今回ご紹介するお菓子の名前は「トロペジェンヌ」。トロペジェンヌの発祥は、フランスの南部のリゾート地であるサン=トロペ(Saint-Tropez)だ。1950年代にポーランド人のパティシエのアレクサンドル・ミカ(Alexandre Micka)が祖母から受け継いだレシピをもとに、ポーランド風のブリオッシュにクリームをサンドしたケーキをつくった。
マリトッツォには生クリームが挟まっているが、トロペジェンヌにはクレーム・ムースリーヌというクリームが使われているのが特徴だ。これはカスタードクリームをベースにしたバタークリームの一種で、温暖でクリームがゆるくなりやすい南仏の気候に合わせ、保存性や経時変化を考慮して作られているクリームだ。トロペジェンヌの他にも、パリパリのパイ生地を保つために湿気を抑えたいミルフィーユなどにも使われることがあるらしい。
さらに、ブリオッシュ生地の上にカリカリとした食感が楽しいパールシュガーがかかっているのも特徴だ。地中海の暖かな気候に合わせてくどくなりすぎないように、オレンジフラワーのエッセンスで柑橘の風味づけがされている場合もある。
女優ブリジット・バルドーもお気に入り
アレクサンドル・ミカは、サン=トロペにこのトロペジェンヌを揃えたブーランジェリーを開店。そこで出会ったのが、フランスを代表する女優で、当時映画『素直な悪女(Et Dieu… créa la femme)』の撮影でサン=トロペに滞在していたブリジット・バルドーだ。ブリジット・バルドーは1950年代後半から1960年代にかけて活躍した女優で、コケティッシュな魅力で母国フランスを越えて人気を博した。
そんな彼女がこのお菓子を気に入り、「サン=トロペのタルト」という意味である「タルト・トロペジェンヌ」という名前を付けた。その後、このケーキはサン=トロペの名物として広まり、アレクサンドル・ミカはこの名前とレシピを正式に商標登録。現在でも「ラ・タルト・トロペジェンヌ」という名称はブランドとして管理されており、オリジナルレシピに基づいた製法が守られている。観光地として有名なサン=トロペにおいて、このお菓子は土地の記憶と文化を象徴する存在となり、今では南仏を訪れる旅行者が一度は味わいたい名物として親しまれているのだ。
南仏を代表するお菓子へ
アレクサンドル・ミカの「ラ・タルト・トロペジェンヌ」はニースやマルセイユ、カンヌなど、地中海沿岸に多くの店舗を構え、今でもおいしいトロペジェンヌを多くの人に届けている。その他、現在では南仏を代表するお菓子として知られているトロペジェンヌを扱う店も多く、街中のケーキ屋さんやパン屋さんなどで見かける機会も多い。その他、日本のエクレアやシュークリームのように、スーパーでパック詰めのものを購入することもできる。
サイズもさまざまで、お饅頭くらいのサイズのものからコンビニのシュークリームくらいのサイズのもの、またはホールで売られている場合もある。
ちなみに、上の写真は6人分のホール。さすが外国サイズというべきか、1人分のサイズがとても大きい。高級な小さな生菓子もおいしいけれど、こうしたシンプルでクリームたっぷりのボリューミーなケーキは、見ているだけで子どもの頃に戻ったようなワクワクした気持ちを思い出させてくれる。
はみ出るクリーム!けれどさっぱりとした味わい
果物もチョコレートなどのトッピングもなく、ブリオッシュ生地にクレーム・ムースリーヌを合わせただけのシンプルなお菓子・トロペジェンヌ。昔ながらの素朴な味わいは、世代を越えて愛される普遍的なおいしさを持っている。
私は、そんなトロペジェンヌの魅力は、さっぱりとした味わいにあると思う。食べ応えのあるブリオッシュ生地とたくさんのクリームは一見するとくどそうだが、不思議としつこくなく、食べ疲れをしないのである。
クリームが溢れ出るようなシュークリームをぺろりと食べられるように、カスタードベースのクリームはしつこすぎない味なのだ。それは、南仏発祥のお菓子というだけあって、暖かな気候で食べてもおいしく感じられる味に仕上げられているからかもしれない。
さらに、私が大好きなのがパールシュガー。ブリオッシュの表面にかけられたパールシュガーのカリカリとした歯ごたえと、ジュワッと口の中で溶ける濃厚な甘さがアクセントになっており、たくさん食べても食べ飽きないのだ。
ちなみに、美食の街と知られるフランスのリヨンにはブリオッシュ生地にピンク色のプラリネを加えたBrioche aux pralines roses(ブリオッシュ・オ・プラリネ・ローズ)というお菓子がある。お店によっては表面にパールシュガーがまぶされており、バターの入ったふわりとした生地とハーモニーを奏でるカリカリとした食感がとても楽しく、そしておいしいのだ。
今よりも食材の流通もスムーズではなかった時代に、こうした最小限の素材で作られたお菓子たちに込められた工夫は、今もなお私たちを魅了してくれる。
仕事の合間、休日のリラックスタイム。癒しをくれるクリーム
たまに思いっきりクリームを食べたくなるのは、きっと私だけではないはずだ。甘く口の中で優しくとろけるクリームは、私たちに最高の癒しをくれる。仕事の合間、休日のリラックスタイム、ちょっとした何かをやり遂げた後のご褒美など、クリームは自分を甘やかしてあげる時間にぴったりだ。
フォークで切ろうとするとクリームが溢れ出るトロペジェンヌは、正直とても食べづらい。けれどもこの幸福感を誘うビジュアルに、抗える人がいるだろうか。たまの贅沢だからこそ、たっぷりのクリームを一気に味わいたい。
香ばしいバターの香りを放つブリオッシュ生地とクリームを合わせて食べれば間違いなくおいしいが、クリームが多すぎるあまり生地が足りなくなってしまう。もはやケーキではなくクリームを食べている、と言ってしまっても差し支えないかもしれない。
そんなクリーム好きを心から魅了するトロペジェンヌを、みなさんも見かけたらぜひ味わってみて欲しい。華やかなデコレーションのケーキたちももちろんおいしいけれど、バターとクリームという大道ゆえのおいしさで私たちを虜にし続けるシンプルな組み合わせのケーキは、どれだけ目新しい味が増えたとしても、やはり揺るがない魅力を誇っているのである。
La Tarte Tropezienne|トロペジェンヌ
CURATION BY
東京都出身。フリーの編集・ライター。フランスと日本を行ったり来たりの生活をしている。