Vol.744

MONO

03 APR 2026

石川・山中温泉の漆器、山中塗。いまの暮らしにちょうどいい器

朝起きて、パンを焼き、コーヒーを淹れる。慌ただしく一日が始まり、気づけば仕事へ向かっている。そんな毎日の中で、食卓に並ぶ器のことを、どれほど意識しているだろうか。今回紹介する山中塗は、石川県・山中温泉で約450年にわたり受け継がれてきた漆器である。ろくろで削り出す木地の生産量で全国一を誇る「木地の山中」として知られながら、現代のライフスタイルに合わせて柔軟に新しいものを取り入れ続けてきた。産地のストーリーを知った上で、自分の暮らしに合う器を選んでみてほしい。山中漆器連合協同組合理事長の鹿野和宏さんにお話を伺った。

川を流れてきた器から始まった、山中塗450年の歴史

なんとなく手に取った器と、産地のストーリーを知って選んだ器。どちらも同じ器だが、後者があるだけで、毎日の食卓の印象はぐっと変わる。

山中塗には、伝統的な漆器から電子レンジや食洗機にも対応した樹脂製のものまで幅広く揃っており、それぞれのライフスタイルや好みに合わせて選ぶことができる。産地の歴史と職人の技に触れながら、自分の暮らしに合う器を見つけるヒントをお届けしたい。

新しいものを柔軟に取り入れてきた山中塗には、色とりどりの食器が揃う
話は約450年前にさかのぼる。山中塗の発祥は、石川県加賀市の山中温泉だ。その地名の通り、四方を山に囲まれたこの温泉地にはひとつの「伝承」がある。安土桃山時代ごろ、山の奥から川を流れてきた木製の器を不思議に思い、上流をたどっていくと木地師たちの集落があった——そう語り継がれている。

山中塗の起源が伝わる、山中温泉の景勝地・鶴仙渓
木地師とは、木を削って椀や皿の形に仕上げる職人のことだ。彼らはもともと木のある場所を求めて山から山へと移り住む職人であったが、山中に根を下ろしたのは、森林の豊かさだけでなく、温泉という住みやすい環境があったからだとも言われている。

山中温泉は、定住した木地師たちにとって恰好の商売の場でもあった。大阪や名古屋の富裕層が湯治に訪れる格式ある温泉場で、そうした上客たちが器を買い求め、山中塗の名は全国へと広まっていった。松尾芭蕉とともに旅をした曽良の日記にも、山中温泉に滞在し、「お土産に器を買った」という趣旨の記述が残っている。

山中塗の歴史は、温泉とともに歩んできた
現在も地元の高級旅館には、口コミで海外の要人や富裕層が訪れ、お土産に山中塗を買い求めるという。時代を越えて、伝統と商いが密接に結びついた街なのだ。

ろくろ・縦木取り・拭き漆。職人の技が生む、木目の美しさ

山中塗を語る上で欠かせないのが、「木地の山中」と呼ばれるゆえんだ。山中の木地師は50名以上おり、挽物木地の生産量は日本一とされている。これだけの職人が集まる産地はほかになく、同じ石川県内で伝統的な漆器産地として知られる輪島塗でも、山中でつくられた木地が使われることが多い。

その技術的な核となるのが「山中式ろくろ」だ。明治期に電動化とともに改良されたとされるこのろくろは使い勝手がよく、ほかの産地と比べて1時間あたりの生産量が格段に多い。今でこそ全国の産地にも広まりつつあるが、山中はその発祥地として高い木地加工技術を誇る。

産地ごとに異なるろくろの技術。山中式は生産性の高さで知られる
さらに、全国でもほとんど例のない、山中塗ならではの「縦木取り」という木の切り出し方がある。木が生えている状態を思い浮かべるとわかりやすい。椀が立った向きで木から取り出すのが縦木取りだ。木の繊維が器の側面を縦に走るため、力がかかっても割れにくく、薄く軽く仕上げられる。それに対して一般的な「横木取り」では繊維が横に走り側面が弱くなるため、布を張って補強する工程が必要になる。縦木取りならその補強がほぼ不要で、素材そのものの堅牢さが活きる。

漆器の製造過程。木目が縦に走っているのが山中塗の特徴の一つだ
そしてこの木目の美しさを活かすのが、「拭き漆」という仕上げだ。漆を筆でべったりと塗り重ねる方法とは異なり、拭き漆は漆を塗ってすぐに拭き取る工程を5〜6回繰り返す。乾く前に拭き取ることで塗膜が薄くなり、木目が透けて見える仕上がりになる。

木製か樹脂製か見分けがつかない器も増える中、透けて見える木目が安心感につながっている
黒や赤に塗り重ねた器では素材が見えなくなってしまうが、拭き漆なら「木であること」が一目でわかる。木の器ならではの温かみを求める人に、山中塗が選ばれる理由のひとつだ。

「売れるものをつくる」。山中塗が選ばれ続ける理由

木の温かみと職人の技。山中塗の魅力は、それだけではない。

伝統工芸という言葉から何を思い浮かべるだろうか。職人気質のこだわり。先人から受け継いだ型を守ること。高価で、使いにくく、日常から遠いもの——そうしたイメージを持つ人も少なくないだろう。しかし、山中塗は伝統工芸でありながら、一味違う印象を持つ。

山中の職人や商人たちの間で長く言われてきた言葉がある。「売れるものをつくらないでどうする」。伝統を守り続けることも大事だが、売れなかったら意味がない。そういう商いの感覚が、この産地には根付いている。

扱いやすさが魅力の樹脂製品。色味のバリエーションも豊富だ
その姿勢が生んだのが、漆器産地でありながら樹脂製品を積極的に取り入れるという、山中ならではの柔軟さである。今や生産量のおよそ8割は樹脂製品が占めるという。電子レンジ・食洗機対応、カラフルな色付けなど、現代の食卓でも使いやすい器を、早い段階から手がけてきた。

一方で、木製の山中塗もしっかりと生き続けている。木地の上にウレタン塗装を施した鮮やかな赤や青、パステルカラーの器もあれば、拭き漆で木目を活かした椀もある。同じ「山中塗」という名のもとに、素材も仕上げも異なる器が共存している。

木製品にウレタン塗装を施すことで、漆では表現できなかった色の世界が広がった
毎日使いたい手軽な器が欲しければ樹脂製品を。木の温かみや、職人の手仕事を感じたければ木製漆器を。山中塗は、それぞれの暮らしに合った器を選べるという幅の広さを持っている。

伝統的な漆の技法も、現代の暮らしに合う器へと進化し続けている
この生き残るための柔軟さが、結果として産地を育ててきた。伝統の技法を受け継ぎながら、変わることを恐れず歩んできたからこそ、今の山中塗がある。

お椀やお弁当箱が人気。山中塗のある暮らしの始め方

では、山中塗を暮らしに取り入れるとしたら、何から始めればよいだろうか。

定番は、お味噌汁に使うお椀だ。山中塗を購入する人の年代は幅広いが、若い人だから樹脂製を選ぶというわけではない。特に産地を訪れた人は、多少価格が高くても木製のものを選ぶ傾向にあるという。毎日使うものだからこそ、気に入ったものを手に入れたい。同じ視点で、飯碗や酒器もおすすめだ。

産地がすすめる最初の一品は、日本の食卓に欠かせないお椀だ
そして、春の新生活シーズンに需要が高まるのがお弁当箱である。山中でつくられるお弁当箱は、環境に配慮した樹脂製で、主にPETボトルの再生材料を用いている。塗装職人の手によるウレタン塗装が施されており、豊富なカラーバリエーションとつや感が楽しめる仕上がりになっている。

サイズも形も色も、自分好みに選べる山中塗のお弁当箱。電子レンジ・食洗機対応で扱いやすい
木製の山中塗を迎えたなら、長く使うために少しだけケアに気を配りたい。食洗機や電子レンジの使用を避け、やわらかいスポンジと中性洗剤で洗い、乾いた布でそっと水気を拭き取る。樹脂製品は扱いやすいが、カレーなど色の濃いものを食べた後は早めに洗浄しておくと安心だ。使うたびに少し手入れをする習慣が、丁寧な暮らしをつくる。

産地で知る、器のもう一つの顔

山中温泉を訪れる機会があれば、ぜひ産地の空気を感じてほしい。山中漆器伝統産業会館内のショップ「山中塗うるし座」では、人間国宝・川北良造氏の作品をはじめ、伝統漆器から現代の暮らしに合わせた近代漆器まで、40数社の個性豊かな商品を展示・販売している。隣接する山中漆器産業技術センターでは、事前申し込みで木地挽きろくろの体験と見学も可能だ。

色の華やかさと、木目のナチュラル感。二つの魅力が共存すると感じた
宿泊施設と漆器工房が連携した取り組みもある。宿泊客が午前中に工房で形をリクエストし、削りたてのお椀をその日の夕食に届けてもらえるという体験だ。本来は何度も漆を塗り重ねて仕上げるものだが、当日の食事に使えるよう職人の知恵を生かした工夫が施されている。完全な仕上がりではないため使用は一杯までという制限はあるものの、粋な計らいが産地らしい体験を味わわせてくれる。

漆器がどのようにつくられるのか、多くの人は具体的なイメージを持っていないと鹿野さんは話す。陶芸のように「土を形にする」イメージが漆器にはない。だからこそ、一度でもつくる過程を目にすると、手元の器の見え方がまったく変わるはずだ。

産地のストーリーを知って選んだ器は、毎日の食卓に豊かさをもたらしてくれる。使い勝手も価格帯も幅広いからこそ、無理なく取り入れることができるのが山中塗の魅力だ。気に入ったものが見つかればぜひ手に取ってみてほしい。器を選ぶことは、自分の暮らしを選ぶことでもある。

器が変えるだけで、食卓の印象がぐっと変わりそう

山中漆器連合協同組合 | 山中塗

公式サイト
https://www.yamanakashikki.com/
公式オンラインショップ
https://www.yamanakashikki.com/onlinestore/

画像提供協力
株式会社正和 https://www.showa-inc.com/
有限会社大尾嘉漆器 https://ooka-kasyoan.com/
守田漆器株式会社 https://urusi.jp/
一般社団法人 山中温泉観光協会 https://www.yamanaka-spa.or.jp/