出来るだけ無駄なく効率よく。ネットやSNSで知りたいことが簡単に分かるようになってから、私たちの生活は以前と比べ格段に便利となった。だが一方、情報に埋もれ、時間に追い立てられているような気分になるのは何故だろう。決められたスケジュールをこなす暮らしに息苦しさを感じたら、暮らしの中に余白を取り入れ、曖昧なひと時を愉しむことを始めてみよう。時間を測れないAwaglass(アワグラス)が、自分次第で変化する時の流れの面白さを教えてくれるだろう。
精緻な情報と明確な時間を求めて
今は詳細な情報がすぐに手に入れられる時代。ふと気になった言葉の意味から、知りたい人物、見知らぬ土地のことまで明記されているのを見つけることができる。例えば初めての場所へ行く時も、その場所への移動手段から掛かる時間、そこに至るまでに何があるか、現地で何をすべきかまで、すぐに知ることが出来る。
見知らぬ場所で迷ったり、興味のないものに時間をかけたくない、だから下調べは出来るだけ詳しくというのはもはや常識となっている。無駄なく、効率よく、失敗無く。利便性を優先事項として問われるのは、それほど時間は貴重なものだと誰もが考えているからなのだろう。
実際は手に取ることも、眺めることも出来ない、実態がない時間を可視化したものが時計であり、そのおかげで私たちは時の流れを知ることが出来るの。だがこの時間という存在に振り回されていると感じることはないだろうか。
可視化された時間から、曖昧さを楽しむものへ
知っているようでよく分かっていないもの、それが時間かもしれない。その証拠に、時計を見ることなしに自分自身で体感する時間がいかに曖昧か、誰もが感じたことがあるはずだ。
例えば時計を見ることなしに5分間を測ってみよう。脈を測ったり、心臓の鼓動を意識して数を数えたりと、5分を測る方法は人それぞれ。だが実際に5分を寸分の狂いもなく言い当てられる人は少なく、実際よりも長かったり短かったりする。
ほんの僅か数秒の出来事が妙に長く感じたり、あるいは1時間という長さが瞬く間に過ぎ去った経験を誰もが持っているに違いない。時間、それは明確なようでいてあまりにも不確かなもの。
その不透明さを味わい、体感するプロダクトがAwaglassだ。最初に目にした時は風変わりなオブジェのようだと思ったが、デザイナーが語った「この泡時計を目にした人は、時間が正確かどうかを気にする」という一言が胸を刺したのだ。
泡が行き来するのを眺めるAwaglass
Awaglassはデザイナー、美術作家である寺山紀彦氏によって手がけられた作品だ。1977年栃木県に生まれた寺山氏は2004年にオランダのデザイン・アカデミー・アイントホーフェンに留学し、2007年帰国、studio noteを設立。かすみ草を着色し、1㎝間隔に並ぶ花定規「f,l,o,w,e,r,s」を始め、斬新かつ心に響くアートプロダクトを発表し続けている。
Awaglassのフォルムは砂時計をモチーフにしているが、正確な時間は測れない。ガラスは吹きガラス職人によるハンドメイド、そして中に収められているのは砂ではなく、Awaglassのために特別に配合したという「泡」なのだ。グラスの中に収められた液体が、ガラス中央のくびれの部分を通過すると空気が上がって泡となる仕組みになっている。
Awaglassで目を奪うのは下へ流れていく液体、そして上へ登っていく泡の数々。泡は数秒で上がることもあれば、数分かかることもある。まるで時間という存在そのもののあやふやさを表しているかのようだ。
モチーフとなった砂時計は航海用を始めとして幅広く活用されてきたが、1500年以降は機械式時計の発達により以前ほどは普及しなくなっていく。だが砂時計そのものが消え去ることはなく、時間という概念の象徴として今でも愛される存在だ。一方、このAwaglassはまるで逆の発想を促しているかのように思えてくるのだ。
変化する時間の流れに身をゆだねて
Awaglassを初めて手にした時はグラスの中にそこまで泡が立っておらず、思わずこれで大丈夫なのかと不安になった。だがガラスの中央、くびれの部分を手に取ってひっくり返し、液体が下へと流れると泡は上に昇って行き、それは上部で驚くほど増えて行く。
小気味よくボコッボコッと音が聞こえている間はかなり早いスピードで液体が下へと流れていくものの、徐々にそれは遅くなる。なるほど、Awaglassは時間は正確に測れないという言葉に納得。これは時間を測るものではなく、泡が生み出す、時の曖昧さを感じるものなのだ。
Awaglassを眺めていると、一人暮らしをし始めた頃、コインランドリーで洗濯機や乾燥機がぐるぐる回るのを飽きもせず眺めていられたことを思い出す。そこでは時間という概念は消え去り、静かな空間で洗濯物が密やかに回り続けていた。
更に記憶に蘇るのは子供の頃に誰かからもらった万華鏡。目の前に広がる鮮やかな景色が筒を回すごとに変化するのに驚かされ、時が経つのも忘れ、何度も筒を回しながら飽きずに眺めていた。
ぼんやりとAwaglassの泡の様子を眺めていると、そんな昔の出来事が頭の中によぎる。思い出すことさえなかった、かつて感じた「時間が経つのさえ忘れていた」出来事は、日々時間に追われ、情報に飲み込まれそうになる暮らしを過ごしているのかを気付かせてくれた。
正確さの前で消えていくもの
容易に情報を得ることが出来るようになり、便利となった現代の生活。これまで無駄と感じて来た時間も随分と減ったに違いない。だが精緻な情報を求めるあまり、失くしたものや消えていくものも多々あるのかもしれない。
例えば綿密に計画を立て、スケジュール通りにつつがなく進んだ旅行。満足すべきはずなのに、どこか物足りなさを感じる時がある。予期せぬ出来事、思いがけない出会い、心に残る印象的な風景…詳細な情報から組み立てた日程では、それらはなかなか得られないものだ。
曖昧さを楽しむ、それは不便性を求めることではなく、暮らしに少しの余白を取り入れることなのかもしれない。決められた時間の中でやるべきことを行うこと以外に少しだけ、何も決めないひと時を取り入れること。そこにはこれまで気付かなかった、小さな発見があるに違いない。
曖昧な時間のひと時を愉しむために
始まりは「面白いデザインだな」と思って手にしたAwaglass。今では仕事の合間の休憩時間や、ドリンクタイムの静けさの中、Awaglassを見つめるひと時が愉しみとなった。
Awaglassは泡の形や液体の流れはその時によって異なり、光の当たり具合によって泡の輝きも変わる。これまでだったら無駄な時間に思えたであろう、泡の動きをただ眺め、美しいなと感じるひと時がとても贅沢なものへ変化している。
日々時間に追われてちょっぴり疲れを感じたら、余白のひと時を取り入れてみよう。何の予定も決めずに、ひとつの情報も持たず、時間に縛られることなく過ごしてみること。曖昧な時間も愉しみとなることを、Awaglassが教えてくれるだろう。
Awaglass
CURATION BY
1992年渡英、2011年よりスコットランドで田舎暮らし中。小さな「好き」に囲まれた生活を求めていたら、夏が短く冬が長い、寒い国にたどり着きました。