10代の若手棋士が最多連勝記録を塗り替えるたびに、メディアからの注目を集めている将棋。ことあるごとに、その根強い人気を感じさせる日本の伝統的なボードゲーム(盤上遊戯)だが、その将棋への愛が高じて新たな視点からデザインされた「大明駒(TAIMEI-KOMA)」は、駒の表面に漢字の表記は一切なく、金・銀・黒の三色のみ塗装が施されている。初心者にも理解しやすくするため、必要な要素や情報を極限までミニマルにし、駒の動きを視覚的に表現したという秀逸なプロダクトの魅力に迫った。
将棋の歴史
おそらく誰もがその存在を知っている将棋。日本での将棋人口は推定530万人ほど。起源は古代インドのチャトランガというゲームというのが有力な説。ヨーロッパやアジアの各地に伝播し多種多様な遊戯に発展したという。世界の将棋型ゲームとの明らかな違いは、自分が取った敵の駒が使えるということから「最も高度で複雑なゲーム」と評されている。
大明駒、開発のきっかけ
2012年の着想から2015年に意匠登録を行い、同年販売を開始。2016年にはグッドデザイン賞を受賞した大明駒。開発者の稲葉大明氏は外資系広告代理店のアートディレクターとして数々の広告制作に従事。2011年に独立し、そこで初めて「今までやってなかったことを始めてみたい」という意欲が生まれたという。また、ひょんなことから事務所を構える台東区に存在するすべての銭湯に通うことを思いつき、仕事を終えてから時間をみつけてはコツコツと銭湯通いを繰り返すこと1年。当時存在していた約40軒の銭湯を制覇した。風呂上がりの一杯を地元である浅草の飲み仲間と酌み交わしているうちに、飲みながら将棋をさすという機会が少しずつ増えていったという。
有段者だった父親から将棋を教わるなど、稲葉氏の幼少期には生活の身近にあったという将棋。社会人となり改めて将棋をさしてみると、「大人に言われるままにやっていたその意味が理解でき、子どもの時には体験できなかった面白さがわかるようになった」という。将棋がもつ高いゲーム性に気づき、瞬く間に将棋熱が再燃しつつも、この時はまだ新しいデザインの構想や商品開発の発想にまでは至らず、しばらくは趣味として将棋を嗜むにとどまった。
ルールを理解してもらうという難しさ
稲葉氏の将棋熱は周囲の仲間をまきこんでゆく。彼に「将棋教えて」と興味を持つ人が増えてきたとき、ひとつの問題が顕在化してきたという。それは誰もがその存在を知っているポピュラーな将棋ではあるが、実はそのルールをよく知らない、理解していない人が多いということ。8種類もある将棋の駒に配された漢字(王・飛車・角・金・銀・桂馬・香車・歩)とその動きについては、実は明確な関連性はなく、それぞれの動きを事前に理解していなければ将棋に興じることはできない。
経験者でもある稲葉氏が初心者に懇切丁寧にレクチャーをするも、実際に駒を手にしてみると思うように対局を進められないことがあまりにも多く、結果的に「やっぱり将棋って難しい」という初心者が抱いていた「難解な遊び、自分にはできない」というイメージがそのまま残ってしまうことに。「新たな将棋ファンを獲得する機会を明らかにロスしていた」と当時の歯がゆさを回顧する。
将棋は難解というイメージを払拭するために
稲葉氏は将棋をストイックに楽しみたいわけではなかったが、デザインで世の中の課題を解決するという職業柄、まずはそこに存在するいくつかの問題とヒントの抽出を試みることに。その結果、初心者に仰々しく教えるのではなく、その場でわかりやすく説明ができること、相手がすぐに理解できること、その二つを叶える仕組みづくりが必要だということがわかった。教育用の駒も教材メーカーから販売されていたが、どうしてもデザインとして納得できるものがなく、自ら試作品の制作を決意したという。
あくまでも自分のために試作品を制作するも、想像以上に友人や知人からの評価が高く、周囲の後押しもあり製品化を決定。販売開始から間もなく日本将棋連盟から取材の申し込みがあり、将棋教室を運営しているという元棋士からSNSを経由して激励のメッセージが届くなど、業界からも熱い視線が注がれているようだ。
選択と集中から生まれたミニマルなデザイン
本質的な問題を顕在化させる。残すべきものと変えるべきものを選択、さらに優先すべきことを決定し、突き詰めて考えた結果が今回のデザインとして具現化された。プロダクトデザインは機能性を重視するために数多くの要素を入れていく事態に陥りがちだが、それをあえて必要最低限なものに絞り込んだ。開発当初は駒のフォルムそのものを四角や丸に変更しようとしたが、そもそも本将棋の駒のかたちがミニマルであり、完成されたものだと改めて気づいたという。
たとえば駒に傾斜がついている、進む方向に尖っている、能力により厚みと大きさが違う。これらは感覚的に理解できることであり、それを崩してしまうと将棋に対する認識が全く変わってしまう。結果、駒のフォルムは変更すべきではないと判断。今まで将棋に興味のなかった人に「いかにわかりやすく駒の動きを理解してもらえるか」を考慮しつつ、漢字という文字情報に依存している状態から脱却すべく、代替できうる新しいデザインに落とし込むことに注力したという。結果、駒の動きを視覚的・感覚的にわかりやすくすることに成功した。
それぞれの駒の動き方
歩は1マスずつ地道に進むことを示すために、駒本体の上部に黒い点を。盤上を文字通り縦横無尽に移動できる飛車は、太くて力強い十字の黒い線を。全方向に移動が可能な王は、駒の全面に金色を配色した。駒の進む方向に応じた場所に色をつけることによって、誰もが簡単な説明でそれぞれの駒の役目を理解できるだろう。
妥協できないマテリアルの選定
現在、大明駒で採用しているのは「黄楊(つげ)」「斧折(おのおれ)」「楓(かえで)」の3種。いずれも一流工芸品の原材料の産地として有名な山形県の天童産だ。本将棋のプロが扱う駒は、しなやかさと硬さを兼ね備えた特性から、彫刻細工に最適な素材の「黄楊」が支持されている。本来は黄楊に限定し制作する予定だったが、大明駒を世に知ってもらう機会を少しでも増やすためにあえて3種のマテリアルを用意している。
塗料については本将棋と同様に漆を検討したが、コストが見合わず断念。高いクオリティを確保するために神社仏閣の屋外の部位で使われているカシュー塗装を採用している。モノづくりに従事している職人からは「採算度外視な価格設定に驚かれることが多い」と稲葉氏は苦笑いしていた。
こんな人に買って欲しい
将棋という素晴らしいカルチャーを、一人でも多くの人に触れて愉しんでもらいたいという本来のコンセプトは変わりなく、あくまでも大明駒は将棋のエントリーモデルとしてありたいという。さらには理想的な購入動機について尋ねると「カッコイイから買う」というシンプルで強い答えが返ってきた。
どのようなジャンルでも「形(見た目)から入る」という動機は、慣れ親しんだ人から怪訝な顔をされてしまうのかもしれない。ただし、いかなるジャンルにおいてもその参加人口を増やし市場を活性化させるためには、プロダクトのルックスや醸し出す雰囲気、なによりもそこに接点を持つこと自体がステータスになりうる、というポテンシャルが重要な要素であることは否めない事実だろう。大明駒の気品あふれる厳かな佇まいは、まさしく完成されたデザイン。この駒で将棋を嗜まずただ部屋に飾るというだけでも、既に生活の中に将棋をとり入れていることになっているのかもしれない。
今後の展開
実は大明駒は詰将棋(※)に向いている。今後は駒を減らして、デザインを子どもが親しみやすくし、サイズを大きくするなど、詰将棋に特化した大明駒も新たに検討しているという。
※本将棋の終盤力を磨くため、駒が盤面上に配置された状態から相手の玉将を追い詰める練習問題。現在ではパズル要素が強い独立した分野となっている。
非言語コミュニケーションを実現しているので少しずつ海外進出の兆しも見られる。航空会社の国際線機内誌に掲載されたり、海外メディアに取り上げられるなど露出も増えてきたそう。最近では協会の普及活動の成果として東欧で本将棋が流行っており、現役の女流棋士もいるというから驚きだ。
ミニマルなデザインを再考してみる
大明駒はミニマルを目指した結果ではない。必要なものを選択しそのポテンシャルを拡張させ、不要なものは削ぐ、場合により捨てることも躊躇しない。モノや項目の絶対数を減らせば良いという短絡的な発想ではなく、あくまでも状況を客観的に分析したうえでの建設的な営為であったといえよう。
稲葉氏は本将棋へ興味を持ってもらうための、ひとつのチャネルとして大明駒を位置付けている。いたずらにコマーシャリズムを追従しない、その潔さは大変明解かつ崇高であると感じた。今後も将棋がより魅力的なカルチャーとして、国や世代を問わず愛されていくことを願ってやまない。
購入できるところ
稲葉氏が代表を務めるFUNDAMENTのネットショップ、国立新美術館のSOUVENIR FROM TOKYO、GOOD DESIGN SHOP、そして3331 Arts Chiyodaで購入が可能。3331 Arts Chiyodaでは現物サンプルが常時用意されているので、実際に手にしてみたい場合は出かけてみよう。
大明駒 TAIMEI-KOMA
CURATION BY
ORIGINALTEXT所属。年間読書300冊。いつまでたっても山に登らないので「エア・アルピニスト」と呼ばれています。