Vol.800

KOTO

16 OCT 2026

引き算の美学。旅先で作り、持ち帰る。井波の木のぐい呑み

旅先では、名所を巡るだけでなく、その土地のものに触れ、自分の手を動かして過ごす時間も楽しみたい。木の香り、ノミを握る感触、少しずつ理想の形に近づいていく木の表情。富山県南砺市の井波という地域では、そんな静かなものづくりの時間を旅の思い出にできる。木の塊から不要な部分を削り出し、形を整えていく「引き算」の工程から生まれる、ひとつのぐい呑み。帰宅したあとも暮らしの中で使うたびに、旅の時間を思い出させてくれる。そんな旅と暮らしをつなぐ、ぐい呑み作りを紹介しよう。

木彫刻のまち・井波で、職人の手仕事に触れる

「木彫刻のまち」井波の始まりの場所、瑞泉寺
井波は、200年以上にわたって木彫刻の文化が受け継がれてきた「木彫刻のまち」。その歴史と文化は、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定する「日本遺産」にも登録されている。

町を歩けば、社寺彫刻を手がける彫刻師の工房が軒を連ね、耳を澄ませば、ノミと木槌の音が本当に聞こえてくる。通りに響くこの音は、「残したい日本の音風景100選」にも選ばれているほど、街の風景に自然と馴染んでいる。

そんな井波彫刻の歴史を語るうえで欠かせないのが、井波別院瑞泉寺である。壮大な伽藍を彩るのは、井波の彫刻師たちによる繊細な木彫刻。その起源は、瑞泉寺が火災で焼失した際、再建のために京都から派遣された彫刻師が、井波の宮大工たちに彫刻の技術を伝えたことに始まるといわれている。

現地を訪れると、その独特の存在感に圧倒される。静かな中に、たくさんの職人さんが時間をかけて手がけたであろう、息遣いのようなものを感じざるを得ない。それを背負った彫刻の力強さはひとしおだ。

経年変化が趣深さを加える、瑞泉寺の木彫刻
そんな井波で、木彫刻を見るだけではなく、木に触れ、自分の手で削ってみることができる体験ができる。職人たちが長い年月をかけて受け継いできた手仕事を、暮らしにつながる体験として味わう時間を、旅の中で過ごしてみてはいかがだろうか。

ノミと木槌を手に、自分だけのぐい呑みをイメージする

木彫りのぐい呑みづくり体験が行われる黒髪庵。植物に囲まれ、四季折々の表情を見せる
井波で体験するのは、木彫りで仕上げるぐい呑みづくりだ。体験場所となるのは、街の大通りの裏にひっそりと佇む「黒髪庵」。浄蓮寺境内に位置し、緑に囲まれた気持ちのいい環境だ。

この木彫り体験では、現役で活躍する彫刻師の指導を受けながら、実際に職人も使う本格的な道具を手に取り、木を少しずつ削って形を整えていく。言葉にするとシンプルだが、木を思い通りに削り、形を整えるには技術が必要だ。

「木彫 がんじ」の野中願児さん。18歳で井波の木彫り職人に弟子入りし、この道34年
使う道具は、ノミと木槌。左手でノミをもち、その刃先を右側から木に入れていく。左手はぐっとノミの持ち手を握るだけ。右手に持った木槌で、ノミの持ち手の後ろを叩くことで、ノミの刃先を木に入れていくのだ。

ぐい呑みのベースとなるヒノキは、木でできたくさびで固定することで、両手を使って作業できるようになっている。

よく見ると、ベースとなるヒノキはもちろん、道具もどれも木でできている。昔から身近に使われてきた木という素材の汎用性と可能性の高さを感じる瞬間だ。

木彫刻に欠かせない刃物道具であるノミ(左端)と、木で作られた頭部を持つ木槌(右端)
ヒノキの香りを感じながら、歴史ある建物の畳に座る。ひとつのものを作るために用意された道具と環境に囲まれると、自然と身が引き締まる。

まずは、どんな形にしたいのか。どんな手触りや表情に仕上げたいのか。目の前にあるひとつの木から、自分だけのぐい呑みができあがる姿をイメージする。
削るのは、ぐい呑みの外側。内側はすでにきれいにくり抜かれていて、お酒やドリンクが注げるようになっている。

お手本の木彫りのぐい呑みをいくつか見せていただいた。その仕上がりの美しさを見ると、「自分にもできるのだろうか」と少し不安になるが、この道34年の職人・野中さんが優しくサポートしてくれるので安心して取り組めた。

職人さんの手にかかれば、木の節(ふし)を活かしたデザインも
「下の部分は深くくびれさせたい」「表面はできる限り滑らかに仕上げたい」など、頭の中で完成形を描いていくと、これから始まるものづくりへの期待が膨らんでいく。

作業する環境や道具に触れ、木の質感を確かめながら、どんな器に仕上げるのかを思い描く。その時間もまた、ものづくりの一部なのだ。実際に木を削る前から、すでに自分だけのぐい呑み作りは始まっている。

木を削る「時間」を楽しむ

トントントンと、ノミの後ろを木槌で叩く動作を何度も行い、木を掘っていく
この体験では、ぐい呑みを上手に完成させることだけを目的にするのは、少しもったいない。普段は触れる機会のない道具を使い、木と向き合う時間そのものも楽しみたい。木に触れ、ノミを握り、木槌を振る。削るたびに変化する木の表情を確かめながら、自分の手で少しずつ形を作っていく。

ときには、ノミが深く入りすぎて、一気にたくさん削ってしまうこともある。ノミを使っている途中で、削れた木がパキッと割れてしまうことも。一打一打、どこに刃を入れるかを考えながら進めるため、思っていた以上に集中力が必要だ。

体験も後半になるにつれて、打音が心地よく感じられてくる
野中さんに教えていただき、ハッとしたのが、木彫りは「何かを付け加えていく」のではなく、木の塊から不要な部分を少しずつ削り、形を整えていく作業だということ。つまり、木彫りは「引き算」で形を生み出していく。

思ったように削れないこともあれば、木の硬さや繊維の向きによって、予想とは違う表情が現れることもある。そうした一つひとつの発見も、自分の手で作るからこそ得られるものだ。

野中さんが彫った木彫りの猫。愛らしい姿を、井波のまちなかで探してみてほしい
そして、実際に道具を使ってみることで感じられるのが、井波で受け継がれてきた職人の技術への敬意である。井波の街を歩くと何気なく目にすることができる木彫刻が、長い時間と確かな技術によって生み出されていることを、自ら木を削ることで実感できる。

職人と同じ技術をすぐに身につけられるわけではない。だからこそ、完成度だけを追い求めるのではなく、木の硬さや削る感触を確かめながら、自分の手で形を作っていく。その過程そのものにも、この体験の面白さがある。

自分で作った器が、1杯のお酒を少し特別にする

「若駒酒造」の外観。販売はもちろん、この場所でお酒をつくっている
体験後は、完成したぐい呑みを持って、まちなかにある酒屋「若駒酒造」へ向かう。ここでは、できあがったばかりの木彫りのぐい呑みに実際に日本酒を注ぎ、その使い心地や香りの違いを確かめることができる。

同じ日本酒を、一般的なガラスのグラスとヒノキで作った木彫りのぐい呑みに注いで飲み比べてみる。

冷えた辛口純米酒をいただいた
まず感じたのは、香りの違いだ。ぐい呑みを口元に近づけると、ヒノキの香りがふわりと立ち上がる。少し時間を置いてもう一口飲んでみると、日本酒とヒノキの香りがなじみ、また違った印象になる。
自分で作った木のぐい呑みが、実際に酒を注ぐ「器」として機能する。その瞬間、先ほどまでノミを使って彫っていた木の塊が、暮らしの中で使う道具へと変わったことを実感する。

また、お酒を試飲した後は、お店の方がぐい呑みを水でゆすいで、紙で拭いてくれた。その際に、洗うときは洗剤を使わず水ですすぐこと、軽く拭いて保管すると長持ちすることなども教えてくれた。そのような木への一つひとつの知識を地元の方から得られるのも、彫刻のまちならではだ。

器が違うだけで、口当たり、香織、感じる味わいがまったく異なる
旅を終えて自宅に戻ったら、さっそく作ったぐい呑みを暮らしの中で使ってみたい。

例えば、いつもなら何気なく済ませていた晩酌。冷蔵庫からお酒を取り出すとき、「今日は井波で作ったぐい呑みを使おう」と手に取ってみる。

自宅での晩酌に、手仕事の温かみと旅の思い出を添える木彫りのぐい呑み
このお酒を入れたら、ヒノキの香りと合わさってどんな香りや味わいになるだろう。そう考えるだけで、いつもの晩酌が少し楽しみになる。

木に触れることで育つ、旅の記憶

井波の街並み。この道の奥に瑞泉寺がある
旅から持ち帰ったぐい呑みは、使うたびに少しずつ表情を変えていく。日々使う中で小さな傷がついたり、木の色や艶が変わったり。傷や風合いの変化も、その器だけが持つ個性になっていく。

木のぐい呑みに触れると、削った跡や木の手触りが指先に伝わる。その感触から、井波でノミを握り、木を少しずつ削っていった時間がよみがえる。旅先で自分の手で作った器だからこそ、日常の中でも旅の記憶を身近に感じられるのだ。

木彫りのぐい呑みづくりででた木の木っ端。ヒノキの香りに癒される
そして、井波から持ち帰れるのは、完成したぐい呑みだけではない。木彫り体験の最後に持たせてもらったのは、ぐい呑みを削る際に出たおがくず。「木っ端(こっぱ)」と呼ばれるもので、通気性のある袋に入れて、お手洗いや下駄箱などに置いておくと、ヒノキの香りを楽しみながら消臭にも使えるという。香りが弱くなってきたら、木を軽く割ることで、再び香りが広がる。

木を彫るという「引き算」の作業から、ぐい呑みと木の端という2つのものが生まれた。形を作るために削った木も、別の形で暮らしに役立てられる。そこにも木彫りというものづくりの興味深さが感じられた。

旅先で木に触れ、自分の手で器を作る。その時間も、持ち帰った器も、そこから生まれたものも、旅を終えたあとまで暮らしの中に残っていく。そんな体験を、井波への旅とともに持ち帰ってみてはいかがだろうか。

井波の木のぐい呑みづくり体験