私たちが移動するとき、そこには大抵目的地がある。そして同時に時間に縛られていることが多い。そんな移動の中で、景色に目を向ける人はどのくらいいるだろう。新緑の鮮やかさ、季節の雲のかたち、空の色の移ろいを、私たちは確かに感じているだろうか。そこでおすすめしたいのが、小型二輪バイクだ。日々にゆとりを見出し、世界をちょっと鮮やかに感じられるような移動手段、小型二輪の世界を お伝えしよう。
原付とも普通二輪とも異なる「小型二輪」って?
小型二輪とは、総排気量が50㏄以上125㏄以下のバイクのこと。正式名称は普通自動二輪小型限定で、原付二種とも呼ばれている。普通二輪免許を持っていなくても、より少ない教習時限数と金額で比較的簡単に取得できる小型限定普通二輪免許を持っていれば、乗ることができるバイクだ。
小型二輪は 免許の名称のとおり普通二輪の一部だが、普通二輪と異なり高速道路の走行はできない。ただ同時に普通二輪にはないメリットも多く、例えば車検がないため維持が楽だったり(※普通二輪であっても250cc以下は車検の必要がない)、保険金額が安かったり、もちろん燃費も良かったりと、近年注目を集めているようだ。
特に車検に関しては、251cc以上のバイクは自動車同様2年に一度の車検が必要で、車検費用と部品交換などで出費が嵩むため、自家用車に加えてバイクを所有する場合 結構な負担である。車検がないことは、大きなメリットと言えるだろう。
さらに普通二輪と比べて物理的に小さいので、駐車スペースを広く取らないことも魅力。近年では街中でも、原付用の駐輪場が増えつつある。
一方でこれを読んでいる方の中には、何故原付ではなく小型二輪を勧めるのだろうと感じる方もいるだろう。個人的には、時速30km/h制限がないこと、2段階右折義務がないことによって、原付に比べて より自由度が高いことが魅力的だと思う。
タンデムステップなどを備えた車両であれば、免許取得後1年から二人乗りも可能。つまり、原付と普通二輪の中間に位置する、おいしいとこ取りをしたようなバイクなのだ。
ホンダの名車「ダックス」や「モンキー」が125ccで復活したことも記憶に新しく、新排気基準で楽しめるレジャーバイクとしての幅が、昨今急速に広がっているように思う。原付のように車の流れについていけない不安感はなく、中型・大型二輪のように街乗りにおいてパワーを持て余すこともない。
かといってツーリングにおいて役不足というわけでもないので、あらゆるシチュエーションで気持ちよく乗ることができる、ちょうどいいバイクだと言えるだろう。これまでバイクに触れてこなかった方でも、人生に取り入れやすい排気量だと思う。
小型二輪は車体も小さく小回りが効くため、街中の移動に適していて、ちょっとそこまでのお出かけに非常に便利だ。そして同時に移動だけでなく、ただ乗るという純粋な楽しみを味わうこともできる。次に、時に気分を切り替えるスイッチのような役割をするこのバイクについて、個人的な付き合い方をご紹介したい。
バイクに乗ることの、スイッチとしての役割
私の愛車は、ホンダのCB90。1971年式のいわゆる旧車だが、昔ながらのキャブレター方式(電子制御で燃料供給を行うインジェクション方式に対し、エンジン内の負圧でガソリンを吸い上げるアナログな方式)のため構造が単純で、マメにオイル交換をすれば今でも現役として元気に走る。
私が小型限定普通二輪免許を取得したのは、2年と少し前。ちょっと移動するときに良いなと思い取得したのだが、実際に乗ってみて、移動手段以上のものを与えてくれることに感動した。移動が移動ではないというか、その時間が、一種のエンターテイメントのようになるのだ。具体的には、よりリアルに感じられる 風の音や葉の色、土の匂いを通じて、四季の移ろいをより楽しめるようになった。
そういえば、電車や車で移動するときには、車窓から望む景色の素晴らしさを あまり味わえていない気がする。電車の乗り換えやカーナビの到着時刻がどうしても気になり、頭の中はこれからの予定でいっぱい。顔を上げる気持ちにも、なかなかならない。ところがバイクだと、自分の身体が外にあることもあって、世界を実感として感じられる。顔を上げて、これからの予定ではなく、今この時を味わいたいような気持ちになるのだ。
だから私は、移動手段というよりはむしろ、気分を変えたいときにわざわざバイクを走らせたりしている。週に数回、自宅での仕事に疲れたときに、いつもは行かない少し遠いコンビニまでバイクを走らせる。
コンビニに着いても飲み物を買ったりする程度なのだが、ただゆっくりバイクを走らせるその時間が、とても贅沢なのだ。車よりも生に感じる音や匂い、色に触れることにより、思考が研ぎ澄まされるような感覚が心地良い。
それは言わば、気持ちを切り替えるスイッチのような役割なのかもしれない。これが中型・大型二輪なら、わざわざ車庫から出して乗るのには少し面倒だが、小型ならサッと乗ることができる。
忙しく過ぎていく日々に、ゆとりを見出すためのもの。私にとって小型二輪は、そんな存在なのだ。
台湾で出会ったバイクに乗る人々
昨年台湾へ旅行に行ったのだが、そこで撮った写真を見返していて、バイクに乗る人々がとても多いことに気がついた。
そういえば私も現地の人のバイクに乗せてもらった。宿に着いた時刻が夜遅く、空いているのがコンビニくらいだったため歩いて向かおうとしたら、宿のおばさんが「危ないから」と送迎してくれたのだ。私は戸惑いつつも、行きはおばさんにしがみつき、帰りは食料と傘を持って、おばさんが運転するバイクの後ろに乗ったのだった。
そのときを振り返ると、バイクにしては ゆっくりしたスピードと、運転しつつ街案内をしてくれた優しいおばさんとの会話が思い出される。あちこち眺めつつバイクに乗る感覚は、日本で小型二輪を運転するときのそれと似ていた。
二人乗りをしている人も多く見かけた。日本よりも、バイクという移動手段が日常的にあるように感じた。
バイクで移動する彼らは、時間に縛られず、自由に暮らしているように見える。彼らは信号待ちの間、空を見上げ、おしゃべりを楽しみ、風を感じていた。それは、分刻みに乗り換える必要のある電車では、自動車の閉ざされた車内では、きっと味わえないものだ。
それは日々に見出すゆとりのようなものだと、私は思う。そしてそのゆとりの中できっと人は思考し、思想し、引いては自分と向き合うきっかけなどを得られたりするのではないだろうか。
小型二輪で、日々にゆとりを見出す
風の音や葉の色、土の匂い……そういうものを よりリアルに感じられるから、私はバイクが好きだ。そしてそこに今の自分を重ね、向き合う時間こそ、何よりも贅沢な日々のゆとりだと思う。
今はちょうど、季節が移ろいゆく時期だ。スピードを出す必要はない。バイクに乗るたびに変わっていく景色をゆっくりと味わいながら、自身の気持ちの変化にも向き合ってみたい。
日常的にバイクに乗り、積極的にそういう時間を取ることができたなら、自分の世界はちょっと鮮やかになるかもしれない。新緑はどれだけ鮮やかだろう、これからの季節の雲はどんなかたちをしているだろう、今日は何時に空の色が変わるのだろう。時の記憶をより具体的に留めるという点では、旅先で借りて乗るのもおすすめだ。
単なる移動手段ではなくプラスアルファの感覚を与えてくれる小型二輪を生活に取り入れて、日々に心地良いゆとりを見出してみたい。
CURATION BY
取材が好きなフリーランスライター。毎日をちょっと豊かにしてくれるものや考え方をいつも探している。画家の夫と一匹の猫と暮らす。