Vol.133

KOTO

26 MAY 2020

創造力を活かして作る机上の庭園。モステラリウムの世界

仕事や人間関係で疲れた日や気持ちをリセットしたいと思った時に。一人きりで自然の中に身を置くと、心身ともに癒されたという思いを誰もが感じた事があるだろう。しかし自然を感じられる場所へ行くのが難しい時もある。だからこそ人は家に観葉植物を置き、花を活けて室内でも自然に触れようと試みる。だが植物は世話をしなくてはならないし、花は枯れると一抹の淋しさを感じてしまう。一人暮らしだとケアするのは自分しかおらず、それが億劫に感じてしまうことも。だがさして手間もかからずに、僅かな空間で植物の生命を感じられるのが、苔(モス)を蓋付きのガラス容器に入れて作るモステラリウムだ。

産業革命時代、テラリウムの歴史は偶然から始まった

テラリウムは19世紀のイギリス、イースト・ロンドンに住む医師ナサニエル・バグショウ・ワードの思い付きから始まった。植物学や昆虫学に興味を持っていたワード氏は、蛾のサナギとカビを広口のガラス瓶に入れ、蛾へ変わる変化を観察しようと試みた。

観察の途中、日中は瓶の上部に湿気が昇り、夕方になると水分がカビと土壌に循環して戻っていることにワード氏は気が付いた。ワード氏をさらに驚かせたのは、瓶の中に一緒に入れておいたシダが成長している事だった。

テラリウムは自身で湿度を維持できるので、水やりの手間がさほどかからないのが特徴だ。
当時のイギリスの流行であったシダだが、彼はそれを庭で育てる事が出来ずにいた。時は産業革命時代、ワード氏はシダが育たないのは近所の工場からの汚染のせいと推測しており、瓶の中で育つシダを見て周囲の環境汚染から保護されている状態であれば、植物は育成出来るという確信を持つ。

ワード氏は、水を与えなくても瓶の中で植物が育つのを観察し続けた。やがて彼はこの発見を文書にして出版し、植物を収め育てるための密閉できるガラス容器を開発することになる。これは『ワーディアン・ケース』と呼ばれ、テラリウムの元祖となった。

その時代、温室は既にあったものの散水や植物の世話など人間の干渉が必要であったため、小規模なものは存在していなかった。しかしワーディアン・ケースは自己調節のプロセスで湿度を維持する事が出来、散水を必要としなかった。実際、1851年に行われたロンドン万国博覧会では、18年間一度も散水されていないワーディアン・ケースが展示されている。

瓶の中にひっそりと息づく小さな小宇宙
ワーディアン・ケースは植物輸送の発展を助け、世界中の植物の貿易を促進し、食文化の変化に大いに役立つ事となった。それまで植物は輸送の途中で死に絶える事が殆どであり、ワーディアン・ケースの発明によって植物や果実が海を越え、国を越える事が可能となったのだ。また、多くのガーデナーや一般の人々もワーディアン・ケースに魅了され、ヴィクトリア朝時代に大流行となった。

その後ワーディアン・ケースは『テラリウム』と名を変えて1970年代や1980年代、そして今、再び世界中でブームとなっている。テラリウムが流行となったのは、ワード氏がワーディアン・ケースを発明した産業革命時代、そして高度成長期や資本主義経済の時代、そして現在の情報化時代。

機械や思想が人間の想像を遥かに超えて飛躍した時代に、人は植物による癒しが必要となるのかもしれない。

植物を育てるのが苦手な人にこそ勧めたい

シンプルな道具で簡単に作成でき、手間もかからず場所も取らない
「サボテンも枯らしてしまう」とはよく聞く言葉だが、世の中には植物を育てるのが苦手な人もいるに違いない。観葉植物を買ってはみたものの、つい水やりを忘れてしまって、気が付いたら枯れていた…という経験を持つ方も少なからずいるだろう。

しかしモステラリウムは、そのような人にこそ勧めたい。植物は家に迎え入れた時からその世話はずっと続く。水やりの頻度を調べ、日照時間を考慮し、季節ごとのケアをしなくてはならないガーデニングや観葉植物の世話と異なり、モステラリウムは殆ど手間がかからない。

モステラリウムの主役、苔を育てるために必要なものは水と空気、そして光り。初めに湿らせた土と苔を瓶の中に入れておけば苔は自身で循環するため、2~3週間に一度ぐらいしか水やりは必要ではない。苔や土に触れて、乾いていたら水をあげるだけで充分なのだ。次に空気。密封容器で苔を育てていると水分が増えすぎ、瓶の中が水蒸気で曇ることがある。そんな時は一日に一回、5分間ほど蓋を開けてやると良いだろう。

最後に光り。苔は光合成からエネルギーを生成するため、適度な日光を必要としている。乾燥を防ぐため直射日光に長時間当たるのは避け、間接日光が当たる場所へ。もしくはLEDライト、なければ白熱電球が直接ではなく適度に当たる場所へ置いておけばOK。苔が成長したら軽くトリミングをするだけで良いという手軽さなのだ。

選ぶ楽しみ、作る楽しみ、見る楽しみ

苔や石、枝などをバランス良く取り入れて個性を活かして作りたい
気になるモステラリウムの作り方だが、その手順は非常にシンプル。必要なものは瓶、土、石、そして苔。さらに苔をセッティングするピンセット、なければ箸でも構わない。そして水やりのために霧吹きを。

苔や石などが近場では手に入らない、と言う方のために、今はキットが数多く販売されている。好みのかたちや大きさの瓶を選んで、そこへどのようなシーンを描くか想像し、その風景に似合った苔を選んでみよう。瓶のサイズを考慮して苔のバランスや石や木の配置を考え、お気に入りのフィギュアやミニチュアの模型を配置するのも楽しい。

直接瓶の中に配置するよりも、予め瓶のサイズを測った紙などの上で事前に構図に合わせて苔や石、フィギュアを配置してみてから、その後に瓶の中へ同じように作成していくのがおすすめだ。

モステラリウムの良いところは、気に入らなければ何度でもやり直しができるところ。再現してみたい風景や、取り入れてみたい画像などを参考に、創造力を活かして作ってみたい。

ミニチュアのフィギュアを入れると、よりドラマティックな風景になる
手順として、まず瓶の一番下に石を敷き、次に霧吹きを使い水で湿らせた土をかぶせる。それから苔を敷く。これにも霧吹きで散水しておこう。石や小枝などを配置したい場合は苔を敷く前に設置し、それから苔を被せていく方法がおすすめ。最後にフィギュアを置いて、全体のバランスを確認したら完成だ。

その後の水やりは土が乾いて来たらで充分で、逆に水をやり過ぎると苔が腐ってしまうこともあるので注意して欲しい。万が一、苔が腐ってしまった場合はすぐに取り除き、カビが付着した土なども変えること。その場所には新たな苔や石などを埋めておこう。

自然の効果を感じる旅は、家の中の小さな庭園へ

『テラリウム』の"テラ"はラテン語で「土地」、または「地形」という意味を持つ。そして″アリウム"はラテン語を語源とした「物が管理されている場所」や「特定の機能を持つ装置」を指している。

自分で作ったテラリウムは、自身が創造主となった小宇宙。一日の終わりや作業に疲れた時にモステラリウムを眺めると、自分で作り上げた庭園の中で息づく生命たちが心を癒してくれるだろう。

いつも視線が向かう場所に配置すれば、癒しのスペースに
どんなに文明が発達しても、経済的に豊かになっても人間は自然がなくては生きられない。最先端の機器に囲まれ、便利で快適な暮らしを送っていても、人は必ず自然を欲するようになる。

自然の中に身を置くだけで、あるいはただ眺めるだけで心が癒され、落ち着いて行く。森や山へ出向くチャンスがない時は、自宅で机上に置かれた緑あふれる庭園へ訪れてみよう。一人暮らしの住まいの中でみずみずしく生き続けるモステラリウムは癒しと潤い、そして充実感を与えてくれる。

瓶の中で息づくささやかなサンクチュアリ。モステラリウムは眺めるたびに心を森の中へ誘う力を持っている。