しかし安価ではあるが足に合わない靴や、長持ちしない靴を履きつぶしては新たに購入し続けることこそが、実は‟浪費”と言えるのかもしれない。
サイズは合っているはずなのに…。既成靴はなぜ痛い?
靴のサイズは『足長』と呼ばれる、かかとから最も長い足の指先までの長さが、ひとつ目の基準となっている。もうひとつは『足囲』という、足の親指から小指の付け根をぐるりと一周した長さだ。
このふたつの長さから、自分に合った靴のサイズを選ぶわけだが、しかし良く考えてみて欲しい。まず左右の足のかたちが同じ人はあまりいないという事実。そして既成靴のために決められたサイズだが、自分と『足長』のサイズが同じだからといって、他の人が『足囲』の長さも同じとは限らない。
つまり既成靴のサイズは細かく分けられてはいるものの、あくまで目安であり、全ての人が痛みを感じないサイズの靴を探すのは、ある意味不可能であるということだ。
「ビスポーク」が意味するものは。職人の技術によって違いが出るクオリティ
依頼人がデザイン、皮の素材や色の好みを職人に伝えることからスタートし、顧客の足に合わせたラスト(木型)作りから、完成までほぼ全工程が手作業で行われている。
しかし、一概に”ビスポークシューズ”といっても、靴職人によってその仕上がりはさまざまだ。そこには作る職人の技術や経験、そしてセンスや才能が反映されている。
現在日本には数多くの靴職人が工房を構えているが、その中でも常にトップクオリティを誇り、日本を始めアジアでも展開しているビスポークシューズ・ブランド、MARQUESSの代表、川口昭司氏にお話を伺った。
伝承された技術を紡ぎ続ける。英国から始まったMARQUESSの物語
そこで紹介してもらったのが、老舗靴ブランド『ジョージ・クレバリー』で靴職人をしていたポール・ウィルソン氏だった。師であるウィルソン氏の作業を見て、真似をすることから始まった川口氏の靴作り。やがて技術の腕を上げ、1840年創業、長い歴史を持つビスポークシューズブランド『フォスター&サン』の修理や制作を請け負うようになる。
ウィルソン氏はお金を得る職人となった川口氏に、より厳しくより深く靴作りについて教えてくれたそうだ。各工程の意味を知り、手の動きなどをより注意深く見て、師の技術に近づけるよう取り組んだという。
「師匠の仕事から、靴職人として生きていくには技術ももちろん大切ですが、それと同時にスピードもなければいけないということを感じました」と川口氏は語る。「第一線で活躍している師匠だからこそ、その大切さを学べたと思います」
「何か分からないことがあっても師匠はそばにいません。ですから自分で考え、ベストを尽くして靴作りをしてきました」と、川口氏は言う。
「ビスポークの靴は一足一足違うので、その都度新たな課題があります。それらをクリアし続けることが、経験として自分の技術になっていきました。これは今でも続いていることで、職人としてとても大切なことだと思っています」
2008年に日本に帰国したあとも、英国と日本、国を超えて『ガジアーノ・ガーリング』の職人として働き続けた。そして2011年、自身のブランドMARQUESSを、英国でともにポール・ウィルソン氏に学び、同じく靴職人であるパートナーの由利子夫人と立ち上げた。
そして今、MARQUESSは日本国内ではもちろん、海外でも高い評価を受けているブランドだ。彼の経歴を知れば、靴職人という仕事や、高いクオリティの靴を作ることは一朝一夕では成しえないことが分かって頂けるであろう。
自分だけの一足を、大切なシーンに。
「そういう靴は、履いた時に靴だけが悪目立ちする事がないんです。装いにおいては全体のハーモニーが大切だと思うので、その中に溶け込む靴を作っています」
確かにどんなに素晴らしい靴でも、靴だけが目立つ存在となると、トータルバランスが崩れてしまう。
「英国で靴を学んだことが生きていると思います」という川口氏の言葉には、彼の靴作りに対する情熱と誇り、そして自信が伺える。
ビスポークシューズを所有するとなると、気になるのがそのケアではないだろうか。
「靴磨きで靴をピカピカにする必要は必ずしもないと思いますが、履き終わったらシューツリーを入れることと、定期的に靴クリームでケアして頂ければと思います」というのが、川口氏のアドバイス。大切な一足だからこそ、長く美しい状態を保ちたいものだ。
初めてビスポークシューズを購入する人へ、「ビジネスシーンですとスーツスタイルにはオックスフォード(内羽根)が合います。ジャケパンなどには少しカジュアルに、ダービータイプも良いと思います」という言葉を頂いた。
「プライベートシーンはデニムやチノに、ローファーやスエードのチャッカブーツなどもお勧めです」
一番最初のビスポークシューズだからこそ、用途に合った大切なシーンを彩る一足を選んでみたい。
真の贅沢。それは長く愛せるものの価値を知ること、そして本当の自分を知ることへ。
靴というフォルムを持つ、伝承され続けた職人の技術、そして経験と才能が詰まった工芸品であり、所有するのはその価値を理解することに他ならない。ビスポークシューズのメンテナンスをする度に、その理解度はより深まっていくだろう。
手ごろな価格や流行品、一見便利に見えるもの。購入してはその時期が来たら ー 壊れてしまった、飽きてしまった、など色々な理由があるだろう ー 捨ててまた、違うものを手に入れる。それらを廃棄する瞬間、心によぎることがあるかもしれない。 「なぜこれを買ったんだろう?」と。
購入した理由や所有していたことさえ忘れてしまうものではなく、長く心に刻まれる「一生もの」を所有することは、決して‟浪費”ではなく、真の‟贅沢”であるはずだ。
丁寧にケアを続ければ、一生履き続けることができるビスポークシューズを得ることは、いっときの気分や流行など目先のことに囚われるのではなく、一生愛せるものを選ぶことに相違ない。そしてそれは、自分が本当は何を求めているのかを知る道しるべとなるだろう。