Vol.500

01 DEC 2023

〔ZOOM in 新宿夏目坂〕製本の街「裏神楽坂」の新アートスポット「SHABA-写場-」

かつて製版・製本の会社が集結していたものづくりの街に、感度の高い若者が集まってきている。ベーカリーやカフェ、アンティークショップといった小商の店が増えている、いま注目のエリア「裏神楽坂」。このエリアに2023年にオープンしたばかりの、一般的なアートギャラリーとは一線を画する、新しい形のアートスポット「SHABA-写場-」をご紹介しよう。

文豪ゆかりの地。神楽坂

街灯に登ろうとする「吾輩」
神楽坂から一番近いZOOMは「夏目坂」というところにある。坂の名前は、夏目漱石に由来し、神楽坂までの道のりには「漱石山房通り」「猫塚」といった夏目漱石ゆかりのスポットが点在する。歴史・文学好きには散策スポットとして知られている。

新宿区立漱石山房記念館前の漱石像
夏目漱石といえば「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などは、一度は読んだことがあるという方がほとんどだろう。とはいえ十数年前のこと……? はてさて、どんな話だっただろうか。このあたりには、名作に登場する店も多いらしい。あえて懐かしい小説を片手に歩いてみるのも、いいかもしれない。

製本・製版の街に誕生した新アートスポット

住宅街の中に個店が点在する裏神楽坂
賑やかな神楽坂の商店街から奥に入った閑静なエリアは「奥神楽坂」と呼ばれ、住宅街の中にぽつりぽつりと店が点在する。カフェ、ベーカリー、アンティークショップなど、こだわりが感じられる個店が多い。美味しいと評判のベーカリーがあり、筆者は前回の取材から目をつけていたのだが、この日も完売でクローズ。無念。

ギャラリー「写場」外観
「裏神楽坂」に2023年にオープンしたアートギャラリー「SHABA-写場-」。以前紹介した「タンスの肥やしで本をつくるワークショップ」で講師を務めた望月製本所の社長が立ち上げたギャラリーだ。
気をつけていないとうっかり通り過ぎてしまうような場所にあるのだが、企画展のオープニングの日などは、人で溢れかえるほどの盛況ぶり。

いま最も注目される書家・寺島響水が手がけた「写場」の文字(右)

作品が映えるミニマルな空間

倉庫だった頃の面影が残る床部分
かつて倉庫として使っていたという場所は、天井やファサードを外し、窓を潰して真っ白な空間に。あらゆる作品の展示ができるよう、超ミニマルな空間に仕上げたという。しばらくは写真作品の企画展が続くが、ゆくゆくはそのほかの分野の企画展も手がけていく予定だという。

仕掛け人は製本会社の社長

望月製本所 代表取締役の江本氏
このギャラリーを運営しているのは、この地で長年製本業を営む望月製本所の江本昭司氏だ。なぜ、製本所がアートギャラリーを運営することになったのか、その経緯をお聞きした。

この場所に対する想いを語ってくれた江本氏
「この地で製本所を長年営んでいくなかで、業界外の人とコミュニケーションする場所と機会を創りたいと考えていました。この場所はもともと倉庫として使っていたのですが、印刷所仲間に『ここを人と人が繋がる場所にしたい』と相談したところ、フォトグラファーの長山一樹氏がギャラリーディレクターとして、清水恵介氏がクリエイティブディレクターとして参加してくれることになったのです」(江本氏)

展示に合わせて写真集も制作される
国内にあるほとんどのギャラリーは、大きく分けると企画画廊(コマーシャルギャラリー)と貸画廊(レンタルギャラリー)になる。この「写場」は前者の企画画廊で、作家側は負担なしで展示ができるのだが、それだけにとどまらない特徴がある。なんと、写真集の制作まで請け負ってくれるのだ。

これがどれほど稀でチャレンジング(作家側にとっては最高!)なことかは、アート業界の方ならわかるはず。

一冊の本に、とことんこだわる職人たち

鍵のかかった文芸誌
「本を創るにあたって、製本所はデザイナーや印刷所とやりとりしますが、直接作家本人とやりとりすることは多くありません。このやり方だと、創りたい人の希望と、出来上がった本の答え合わせをしにくいのです。私たちが本を創りたい人と直接コミュニケーションできたなら、提案できることはたくさんありますし、もっと良いものが創れるはずです」(江本氏)

望月製本所には、たった一冊の本であっても、とことんこだわって創り上げようとする職人魂が根付いている。どこに頼んでも断られてしまうような難しい要望でも「あそこならやってくれるかもしれない……」と駆け込むクライアントも少なくないという。「製本業界最後の砦」なんて言われることもあるのだそう。

鍵のかかった文芸誌

技術と精神力で全ページに鍵穴を開ける
https://kagi-bun.stores.jp/items/64d490fa5973980038acf33e
巻頭詩 黒川隆介
小説『ロンドンペンギン』神西亜樹
『アイドルの教育係』森 旭彦
『謝るな』関口 舞
漫画『グッバイ・ローション』ザ・花実
インタビュー『なんでもない人』田栗範昭 54歳
装丁    o-flat inc.
印刷    藤原印刷株式会社
製本    株式会社望月製本所
編集・発行 菊池拓哉
「この本は表紙も全ページにも鍵穴が開いているのですが、通常の型抜きでは対応できないくらい穴が小さい。細かいものはレーザーで開けることもありますが、この紙では焦げてしまうし、位置が少しでもずれると文字が読めなくなる。創るのは不可能だと現場から難色を示されていたのですが、営業さんの熱心さと、諦めたくないという自分の想いがあって。ペーパークラフトを創る機械の刃を調整して、一枚ずつ開けることになりました。一般の方が見てもわからないかもしれませんが、業界の人間が見たら度肝を抜きますよ」

ARENA OF BOOK - RINTARO FUSE, HEIJIRO YAGI

ARENA OF BOOK - RINTARO FUSE, HEIJIRO YAGI
https://products.postfake.com/products/the-book-of-arena
著者、コンセプトデザイン:布施琳太郎、八木幣二郎
アートディレクター:八木幣二郎
出版社:CON_ / POST-FAKE
印刷:藤原印刷株式会社
製本:株式会社望月製本所
外函:YROEHT
「この本も、最初は『できない!ありえない!』が満載で、現場は頭を抱えていました。しかし、結局心を動かされて、この本を創るために工場長は毎晩2〜3時間残業していました。フワフワした柔らかい紙なので切るのが難しいのです。作者と工場長と僕とで、こだわりの一冊を創るときのライブ感や、手応えが感じられた一冊です。本を創りたい人の顔が見えることで職人もやりがいを感じています」

箔押しのレター。違いを見分けられる職人はごくわずか

熟練技を見せてくれた工場長

ものづくりの街のこれから

製本所のイノベーティブな活動に期待
インターネットで情報収集することが当たり前になったいまも、たまに本を開けばそこに大切なものがあることに気付かされる。人にしか描けない表現や、要約できない言葉たち。情報過多な時代だからこそ、アナログの良さが際立ち、ハッとさせられることがある。世の中がどれほど進化しても、人にしかできない領域が確かにある。

このギャラリーは、職人たちの想いとプライドが街の未来と接点を持つ場所であると同時に、それに触れる一般の人にとっても貴重な体験の場所になっていくに違いない。

SHABA|写場

東京都新宿区築地町 渡辺ビル1階
https://shaba.gallery/