“世界で最短の定型詩”とも言われる、俳句。五・七・五の17音の中に季節の言葉(季語)を入れ込みながら、情景や心情、メッセージなどを詠み上げる、表現力と言葉のセンスが生かされる日本古来の文化だ。そんな俳句を始めるのにぴったりな、俳句のための文具ブランド「句具(くぐ)」の”作句ノート”を紹介する。
日常で感じる季節の”解像度”が上がる
時に、長編の小説よりも、短い言葉のほうが心を揺さぶることがある。
「古池や蛙飛びこむ水の音」(松尾芭蕉)
この句は、日本で最も知られている17音だろう。江戸時代から残るこの句には、詠んだ瞬間に情景が頭に浮かんでくる言葉の強い力がたしかに宿っている。
「句具」の生みの親であり、俳句を愛するコピーライター後藤麻衣子さんは、「俳句を通して世界を見ると、季節の“解像度”がぐんっと上がるのを実感します」と話す。
俳句では、季節は4つではなく、さらにそれぞれを6つに分けた「二十四節気(にじゅうしせっき)」が基準になっている。「寒さのなかに春を感じとろうというのが立春(2月5日ごろ)、暑さの只中に秋の気配を感じ取ろうとするのが立秋(8月8日ごろ)」(『今はじめる人のための俳句歳時記』(角川学芸出版 編・角川ソフィア文庫)より)」というふうに、俳句は、4つの季節よりも先んじて次の季節を感じとる世界だ。
「多くの人が『春になってきたね』って話し始めるのは、暖かくなってくる3月ごろだと思いますが、俳句をやっている人たちは2月初めの立春にはもう、春を感じ始めているんですよね。2月初めなんて一番寒さが厳しい時期ですが、その中にも春を見つけられる。8月の立秋も、暑さのなかにも秋を探している。風が秋っぽくなってきたな、月がきれいに見えるようになった、虫の声が聴こえる...そういう感覚が、季節の先取りです。
また、雨が降ってきたら『嫌だな』と感じるのではなく、菜の花が咲く季節(3月下旬~4月)なら『これは菜種梅雨(なたねづゆ)』だなって。季節の一部分に思える。見える景色が変わるんですよ」
芭蕉の句でいうと、季語は「蛙」。夏の季語かとおもいきや、実は春の季語。冬眠していた蛙が姿を表し、活動が活発化することから。実はちょうど今の季節の句だ。
私たちは、日常で綺麗な風景や好きなものを見るとスマートフォンで写真を撮るが、そのまま忘れてしまう。しかし俳句にすることで、いつもと違った日常の切り取り方、思い出し方ができるような気がする。
俳句をつくるためのノート「作句ノート」
そんな俳句を日常的に楽しめるように、と考え出されたのが、俳句のための文具ブランド「句具」だ。
「コンセプトは、『句と暮らす、道具。』です。俳句をつくる、書く、読む、鑑賞する。俳句に触れることは、誰かの心に触れること。過ぎゆく季節を惜しみながら、新しい季節の兆しを愛でること。俳句と日常をもう少しだけ近くするブランドになればと思い、つくりました」(後藤さん)
俳句をつくるための「作句ノート」、厳選句を大切に綴る「選句ノート」、句を鑑賞するための「装句カンバス」、季節ごとにめくる「二十四節気カレンダー」、季語をちりばめた「季寄ポストカード」などのアイテムを展開しているが、今回は「作句ノート」を使ってみる。
「作句ノート」は、線と点によるガイドラインが一本引いてあるだけのミシン綴じのノート。シンプルだからこその自由度の高さが魅力だ。
作句ノートを持って、初春の街に繰り出してみる
「俳句は、景色がいいところなどの特別な場所でなくてもつくれます。日常の風景や、今日食べたもの、ちょっとしたハプニングなど些細なことが俳句の種になります。日記のように今日あったことを綴ることもできます」と後藤さんは話す。
「作句には、作句ノートと書くもの、それに歳時記(四季のことやもの、年中行事などを記した本)があれば十分。電車のなかのちょっとした時間でもつくれます。ヒントになるような風景や言葉を見つけたら、少しずつメモします。作句ノートに書き込むという人もいれば、スマートフォンのメモ機能を活用している人もいたりと、人によって作句スタイルはさまざまです」(後藤さん)
さっそく、「句具」の作句ノートを持って街に出かけてみた。天気のよい3月中旬。昼間は暖かくなってきたものの、まだまだ肌寒い。何気ない日だが、どんな作句の種に出会えるだろうか。
春になると桜のアーチができる名所にやってきたが、まだ蕾は硬く。まだ早かったかなと思いながら歩いていると、立ち止まってスマートフォンをかざしている人たちがちらほら
「俳句には、音数と季語を入れるという以外の決まりごとはありません。感覚でいいんです。ピンときた季語を含む言葉をパズルみたいに自由に組み合わせていくことで、味わいが生まれてくるんです」という後藤さんの言葉を思い出しながら、さっそく作句ノートに「ほころぶ」「蕾」「咲き始め」などの思いつく限りの言葉をメモし、歳時記で、この光景にぴったりくる春の季語を探していく。
桜といえば、美しく咲く期間が短いことから、儚さの象徴でもある。どうしても満開のときのお祭り感、散り際の哀愁が印象に残るもの。一方で咲き始めは、気付く人は気付くものの、見過ごされてしまいがち。しかし、桜の美を彩る瞬間の一つには違いない。桜が最盛を迎え、散った後も、たしかに存在した“咲き始め”を心に留めたく、一句したためた。
「初桜寒枝(かんし)をかざる色ひとつ」
初桜は咲き始めを表す季語。葉が落ちた枝(寒枝)に1つ花が付いている情景を想像していただけただろうか。(ちなみにはじめは「花ひとつ」としていたが、後日、後藤さんに見ていただいたところ、「まず基本は、一句に季語はひとつが好ましい。“花”も季語のため、“色”など違うことばにしてはどうか?」とアドバイスをもらい、アップデート。詠みあうことで句は磨き上げられるのだと実感した)。
桜は春の季語の代表格だが、初桜のほかにも、朝桜、夕桜、夜桜などの時間帯別の桜の季語や、種類別でも、自生種で30種類以上、栽培種も入れると数百種類の季語があるらしい。桜とひと言で言っても、時間帯や鑑賞する品種次第で表現は広がっていきそうだ。
次の日、朝早くに目が冷めて見事な朝焼けが窓から広がっていたので、ここでも一句。
「あけぼのに染まる薄紅春の雲」
春の雲とは、空を薄く覆うように広がる雲のことで季語。まだ薄暗い朝(あけぼの)に、薄紅色に染まった空の様子を詠んだが、伝わっただろうか。
最後に、後藤さんの俳句を紹介する。「家の中にも句材(俳句の題材)はたくさんあります」と後藤さん。以下の2句は、いずれも屋内の句だが、春をありありと感じられる。
「へその緒を切って二人になる春夜」
こちらの季語は「春夜(しゅんや)」。春の遅い時間、ようやく我が子が生まれた喜びが感じられる。
「うすだいだいのクレヨンで塗る春のひと」
こちらの季語は「春」。うららかな陽気のなか、幼い子どもがクレヨンで夢中になってお絵かきをしている光景が浮かんできた。
どうだろうか。私の句は写真があってようやくイメージできるものだが、この2句は写真などなくても情景がまざまざと思い浮かべられる。俳句とは、かくも奥深い世界なり、と実感する。
日々をより繊細に、豊かに味わうことができるようになる
考えてみれば、私たちも、Twitterで140字の短文に日々の出来事や感情などをつぶやいたり、SNSで短文のメッセージを送り合ったりしている。俳句は私たちが思っている以上に現代を生きる私たちに親しい存在かもしれない。
また、地方によっても季節の感じ方が違うため、SNSを通じて地域の違いを楽しむのも現代ならではの俳句の楽しみだろう。
ともすれば日常で見過ごされてしまうような小さな季節の変化も、17音で鮮明に記憶する。美しい写真を楽しむのもいいけれど、俳句なら言葉の背景に、それぞれの記憶に紐づいた情景を呼び起こさせる。
「立夏」は5月初旬。あとひと月で、夏がやってくる。今しかない春の瞬間ひとつひとつを、俳句で残してみてはいかがだろうか。
句具
CURATION BY
ライフスタイル系の編集者/ライター。新しいライフスタイルを求める日々を送っている。建築、文具、旅、街おこし、リノベーション情報が大好物。最近気になっているものは、タイニーハウスとバンライフ。