Vol.218

MONO

19 MAR 2021

バウハウス発のデザインチェア「ワシリーチェア」が先取りした現代の家具生産

人は自宅でくつろぐとき、とっておきの椅子に座りたくなる。座った感触の心地よさはもちろん、視覚的にも洗練されたデザインの椅子に座り、至福のひとときを過ごしたいものだ。 そんな人々にぜひおすすめしたいのが、「ワシリーチェア」。第一次世界大戦後、ドイツに設立された美術学校「バウハウス」発のデザインチェアだ。 ワシリーチェアは誰によってデザインされたのか、またバウハウスとはどんな教育機関だったのか、をひも解いていくと、ワシリーチェアのみならず、現代の家具生産に通ずる家具デザインの変遷が見えてくる。 ここでは、ワシリーチェアが製作された時代背景とともに、一脚の椅子から始まった家具生産における近代デザイン史の一部を紹介したい。

建築家の手掛けた椅子。斬新なデザインのワシリーチェア

ワシリーチェアはモダニズムデザインの先駆けとなった名作チェア
ワシリーチェアは、マルセル・ブロイヤーという著名な建築家によってデザインされた椅子だ。建築家がなぜ斬新なデザインの家具を製作できたのか。その秘密に迫る。

ワシリーチェアは家具デザイン・建築の巨匠、マルセル・ブロイヤーの代表作

1902年にハンガリーで生まれたマルセル・ブロイヤー(以下、ブロイヤー)は、モダニズムデザインの最前線で活躍した家具デザイナー兼建築家として知られている。ブロイヤーの作品としてもっとも有名なのが、金属のパイプを曲げて作られた「ワシリーチェア」だ。日本が大正デモクラシーの真っ只中である1925年に、23歳のブロイヤーがワシリーチェアの原型を考案したといわれている。

当時は、1930年代にナチス・ドイツの勢力が台頭してくる直前であり、ヨーロッパは経済情勢の目まぐるしい変化や政治的混乱など、時代のうねりの中にあった。
ワシリーチェアという今までにないスタイルの椅子は、このような動乱の時代に生まれた作品である。

ワシリーチェアのデザインは自転車の構造から着想された

自転車のハンドルからのひらめき。ここから「ワシリーチェア」が始まる
ワシリーチェアは、世界初の「スチールパイプを使用した椅子」であり、自転車のハンドルから着想を得て製作されたといわれている。

曲げ加工を施したスチールパイプをボルトで接合してフレームとし、それに座面や背もたれ、肘掛けとなる革を張っただけのシンプルなデザインが特徴だ。製作された当時は、ボルトを使わずスチールパイプを溶接し、座面の肘掛けには革ではなく布を用いていたという。

当時の家具といえば重厚な木製製品が一般的であり、工業用の素材でしかなかったスチールパイプを家具に使うという発想は、画期的で斬新なものだった。数回のモデルチェンジを経たワシリーチェアは、簡単に分解や組み立てができるのが特徴。高額な設備投資の必要がなく大量生産が可能であるため、現代の家具生産の先駆けになったともいえる。

素材、デザインともに革新的なワシリーチェアが、当時の家具デザイン界に大きな衝撃を与えたことは想像に難くない。

「世界初のパイプ椅子」ワシリーチェアがデザインされた背景

木製の椅子が広く利用されていた時代に、なぜパイプ椅子であるワシリーチェアが生まれたのだろうか。ここでは、ワシリーチェアが生まれた時代背景に注目する。

大量生産の技術は人々から芸術を奪うのか

18世紀に産業革命が起こると、世界市場ではさまざまな商品の需要が高まり、手工業では供給が追いつかなくなった。そのため機械により生産するシステムが瞬く間に広がり、家具職人をはじめとした職人たちは、工場の大量生産という仕組みに仕事を奪われていった。

工場の普及によって仕事を奪われた職人たちは、次第に工場で働く労働者となり、技術や誇りを失くしていった。これは、大量生産の技術が人々から芸術を奪うことになってしまったともいえる。

しかし、職人による手仕事を機械化するほどの技術はまだ存在せず、工場で生産されるものの中には手工芸品の外観を模倣しただけの粗悪品も多かった。産業革命の時点では、伝統ある芸術と、産業の発展による技術の調和がとれていなかったのだ。

「バウハウス」とは芸術と産業の調和を目的とする教育機関

バウハウスは多くの芸術家を輩出している
19世紀末になると、粗悪な工業製品の大量生産に反対する者が多く現れ、中世の手工業に回帰しようという「アーツアンドクラフツ運動」が起こる。こういった芸術や伝統に重きを置く運動が起こる中、製品の質を高め、歴史ある芸術と新しい産業が融合することを目的に設立された学校があった。「バウハウス」である。

バウバウスの基本理念は、「建築家や画家などの創造的な作業に関わる人たちを能力に応じて教育し、芸術やデザインの習熟に、統一された仕組みを生み出すこと」。さらに、創立から数年後には機械工業との結び付きが強調され、合理主義・機能主義的考えも重視されるようになった。

実用的で合理的な製品を創造するモダンデザインの考え方や、大量生産を前提とした技術と芸術のあり方を説くバウハウスの理念は、現代のデザイン界にも多くの影響を与えている。

ワシリーチェアは、バウハウスでデザインを学んだブロイヤーの作品

不安定に見えて心地いい。浮遊感を得られる「ワシリーチェア」
「国立バウハウス・ヴァイマル校」の第一期生だったブロイヤーは、同校の教官として卒業後も活躍した。ワシリーチェアは、彼がバウハウスの家具工房教官時代に「クラブチェアB3」という名称で製作したものだ。

ワシリーチェアが画期的だったのは、「スチールパイプを加工して作った椅子」だということ。当時、椅子の製作には木材が用いられ、安定感のある重厚なデザインにするのが一般的だったからだ。

ワシリーチェアは素材が軽くシンプルな構造をしているため、製造の際に高額な設備投資をする必要がない。製造工程にも、専門の職人が必要なほど複雑な工程はなく、工場で作られる大量生産を目的とした家具の先駆けになった。

金属パイプでできているワシリーチェアは一見華奢で不安定に見えるデザインをしているが、座ると座面の革が体の形に沿い、宙に浮いているような快適さを得られる。

革新的なデザインのワシリーチェアが注目を集めた後、世界的に著名なデザイナーであるル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエなどもこぞって、家具生産にスチールパイプを使い始めた。ワシリーチェアがデザイン界に与えた影響がいかに大きいかがわかるだろう。

ワシリーチェアの名前の由来とは

ブロイヤーのフルネームには、ワシリーという名前は含まれていない。ワシリーチェアのワシリーという名前はどこから来たのか。誤った由来が伝わっていることが多いので、ここでは正確な由来を紹介したい。

抽象画家ワシリー・カンディンスキーの存在

カンディンスキー作品「空の青」。ポンピドゥーセンター近代美術館所蔵
抽象芸術は、ワシリー・カンディンスキー(以下、カンディンスキー)やピエト・モンドリアン、カジミール・マレーヴィチなどの芸術家が開拓した、1910年代の前衛芸術だ。カンディンスキーは抽象絵画の創始者の一人とされており、理論によって絵画を分析した美術理論家として「抽象美術理論」を発表している。

また、カンディンスキーはブロイヤーとともにバウハウスで教鞭をとった同僚でもあった。

カンディンスキーが絶賛した「クラブチェアB3」

ワシリーチェアの名前の由来には、「ブロイヤーがカンディンスキーのためにデザインした椅子だから、ワシリーチェアと名付けられた」という説があるが、それは正確とはいえない。ブロイヤーはカンディンスキーのためにワシリーチェアを製作したわけではなかったといわれているからだ。

もともとワシリーチェアは「クラブチェアB3」という名前で製作された。その完成時のデザインを見たカンディンスキーが絶賛したため、ブロイヤーは同僚教官であるカンディンスキーの誕生日に、クラブチェアB3の複製を贈ったのである。

クラブチェアB3の発表からずいぶんと経った1960年頃 、ブロイヤーは自身の家具コレクションの権利をイタリアのデザイン会社「ガヴィーナ」に売却した。そして「クラブチェアB3」の商品名を決める際、カンディンスキーとのストーリーが決め手となり、「ワシリーチェア」と名付けられたといわれている。

「マルセル・ブロイヤーの家具」が展覧会のテーマになったことも

2017年、東京国立近代美術館で「マルセル・ブロイヤーの家具」という展覧会が開催された。ブロイヤーの家具デザインを一堂に展示する展覧会は日本国内初の試みだった。
ブロイヤーがデザインした家具が約40点紹介され、中でもワシリーチェアは、時代に沿って少しずつ形状や製造工程が変化した4つのモデルが並べて展示された。

展覧会では、ワシリーチェアは「空中に浮かぶように座ることができる椅子」と解説され、実際にワシリーチェアに座って写真を撮ることができる撮影ブースも用意された。撮影ブースには、ブロイヤーと同じくバウハウスの教官として活躍した、オスカー・シュレンマーがデザインした鉄仮面のレプリカが用意され、展覧会を訪れた人々はお面を付けて記念撮影を楽しんだ。
写真がSNSにアップされるなどして話題が広まり、展示会はさらなる人気を博したという。

虚飾を取り払った機能美は、現代にも受け継がれている

ワシリーチェアの登場が、スチールパイプチェアをスタンダードに
現在、椅子のバリエーションはとても増えた。人々は好みに合う椅子を選んで生活しているが、これは当たり前のことだといえないかもしれない。

中世の常識だった、重厚感のある椅子のデザインは、ワシリーチェアが製作されたことをきっかけに革新的でシンプルなデザインへと変化した。椅子をはじめ、現在生産されている家具の多様性は、常識にとらわれない発想で進化してきた「家具生産における近代デザイン史」の先にあるものだといえる。

その始まりであり、椅子の進化の基礎を担ってきたのが、ブロイヤーが作ったワシリーチェアなのだ。

ワシリーチェアは第二次世界大戦中に生産が中止されたものの、戦後生産を再開し、1950年代から現在まで継続して生産されている。

時代を超えて愛され続けているワシリーチェア。その歴史を知れば、椅子に座ってくつろぐひとときがより贅沢なものに感じられるだろう。