建築家の手掛けた椅子。斬新なデザインのワシリーチェア
ワシリーチェアは家具デザイン・建築の巨匠、マルセル・ブロイヤーの代表作
当時は、1930年代にナチス・ドイツの勢力が台頭してくる直前であり、ヨーロッパは経済情勢の目まぐるしい変化や政治的混乱など、時代のうねりの中にあった。
ワシリーチェアという今までにないスタイルの椅子は、このような動乱の時代に生まれた作品である。
ワシリーチェアのデザインは自転車の構造から着想された
曲げ加工を施したスチールパイプをボルトで接合してフレームとし、それに座面や背もたれ、肘掛けとなる革を張っただけのシンプルなデザインが特徴だ。製作された当時は、ボルトを使わずスチールパイプを溶接し、座面の肘掛けには革ではなく布を用いていたという。
当時の家具といえば重厚な木製製品が一般的であり、工業用の素材でしかなかったスチールパイプを家具に使うという発想は、画期的で斬新なものだった。数回のモデルチェンジを経たワシリーチェアは、簡単に分解や組み立てができるのが特徴。高額な設備投資の必要がなく大量生産が可能であるため、現代の家具生産の先駆けになったともいえる。
素材、デザインともに革新的なワシリーチェアが、当時の家具デザイン界に大きな衝撃を与えたことは想像に難くない。
「世界初のパイプ椅子」ワシリーチェアがデザインされた背景
大量生産の技術は人々から芸術を奪うのか
工場の普及によって仕事を奪われた職人たちは、次第に工場で働く労働者となり、技術や誇りを失くしていった。これは、大量生産の技術が人々から芸術を奪うことになってしまったともいえる。
しかし、職人による手仕事を機械化するほどの技術はまだ存在せず、工場で生産されるものの中には手工芸品の外観を模倣しただけの粗悪品も多かった。産業革命の時点では、伝統ある芸術と、産業の発展による技術の調和がとれていなかったのだ。
「バウハウス」とは芸術と産業の調和を目的とする教育機関
バウバウスの基本理念は、「建築家や画家などの創造的な作業に関わる人たちを能力に応じて教育し、芸術やデザインの習熟に、統一された仕組みを生み出すこと」。さらに、創立から数年後には機械工業との結び付きが強調され、合理主義・機能主義的考えも重視されるようになった。
実用的で合理的な製品を創造するモダンデザインの考え方や、大量生産を前提とした技術と芸術のあり方を説くバウハウスの理念は、現代のデザイン界にも多くの影響を与えている。
ワシリーチェアは、バウハウスでデザインを学んだブロイヤーの作品
ワシリーチェアが画期的だったのは、「スチールパイプを加工して作った椅子」だということ。当時、椅子の製作には木材が用いられ、安定感のある重厚なデザインにするのが一般的だったからだ。
ワシリーチェアは素材が軽くシンプルな構造をしているため、製造の際に高額な設備投資をする必要がない。製造工程にも、専門の職人が必要なほど複雑な工程はなく、工場で作られる大量生産を目的とした家具の先駆けになった。
金属パイプでできているワシリーチェアは一見華奢で不安定に見えるデザインをしているが、座ると座面の革が体の形に沿い、宙に浮いているような快適さを得られる。
革新的なデザインのワシリーチェアが注目を集めた後、世界的に著名なデザイナーであるル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエなどもこぞって、家具生産にスチールパイプを使い始めた。ワシリーチェアがデザイン界に与えた影響がいかに大きいかがわかるだろう。
ワシリーチェアの名前の由来とは
抽象画家ワシリー・カンディンスキーの存在
また、カンディンスキーはブロイヤーとともにバウハウスで教鞭をとった同僚でもあった。
カンディンスキーが絶賛した「クラブチェアB3」
もともとワシリーチェアは「クラブチェアB3」という名前で製作された。その完成時のデザインを見たカンディンスキーが絶賛したため、ブロイヤーは同僚教官であるカンディンスキーの誕生日に、クラブチェアB3の複製を贈ったのである。
クラブチェアB3の発表からずいぶんと経った1960年頃 、ブロイヤーは自身の家具コレクションの権利をイタリアのデザイン会社「ガヴィーナ」に売却した。そして「クラブチェアB3」の商品名を決める際、カンディンスキーとのストーリーが決め手となり、「ワシリーチェア」と名付けられたといわれている。
「マルセル・ブロイヤーの家具」が展覧会のテーマになったことも
ブロイヤーがデザインした家具が約40点紹介され、中でもワシリーチェアは、時代に沿って少しずつ形状や製造工程が変化した4つのモデルが並べて展示された。
展覧会では、ワシリーチェアは「空中に浮かぶように座ることができる椅子」と解説され、実際にワシリーチェアに座って写真を撮ることができる撮影ブースも用意された。撮影ブースには、ブロイヤーと同じくバウハウスの教官として活躍した、オスカー・シュレンマーがデザインした鉄仮面のレプリカが用意され、展覧会を訪れた人々はお面を付けて記念撮影を楽しんだ。
写真がSNSにアップされるなどして話題が広まり、展示会はさらなる人気を博したという。
虚飾を取り払った機能美は、現代にも受け継がれている
中世の常識だった、重厚感のある椅子のデザインは、ワシリーチェアが製作されたことをきっかけに革新的でシンプルなデザインへと変化した。椅子をはじめ、現在生産されている家具の多様性は、常識にとらわれない発想で進化してきた「家具生産における近代デザイン史」の先にあるものだといえる。
その始まりであり、椅子の進化の基礎を担ってきたのが、ブロイヤーが作ったワシリーチェアなのだ。
ワシリーチェアは第二次世界大戦中に生産が中止されたものの、戦後生産を再開し、1950年代から現在まで継続して生産されている。
時代を超えて愛され続けているワシリーチェア。その歴史を知れば、椅子に座ってくつろぐひとときがより贅沢なものに感じられるだろう。