こだわりのつまった一人暮らしを始める
夜、家に帰ってもごはんは待っていない。でも昨日、ちゃんと買い物をしておいた。
料理が得意なわけではないけれど、これからはなるべく自分で作ったごはんを食べる。一人暮らしを始めるときに決めた自分ルールだ。
今夜は親子丼とけんちん汁。たっぷりのタンパク質とたっぷりの野菜。炭水化物も抜かない。
けんちん汁は多めに作って、明日の朝ごはんにする。
選んだのは、中川政七商店と越前漆器の老舗・漆琳堂(しつりんどう)とのコラボレーションによる「食洗機で洗える漆椀」。
以前から中川政七商店は気になっていた。
「ものが溢れるこの時代、何を選ぶのか、さらに言えば、
何をもって善とするのか
何をもって美とするのか
何をもって真とするのか
個人の価値観が問われる時代であると感じます。」(中川政七商店公式サイトより)
ものを選ぶことは、私の価値観を表現すること。
持ちものを少なくするために使い回せるものを、空間を活かすために部屋に似合うものを選ぼうとしていた。けれど、使い回せて部屋に似合うことは必要だが十分じゃない。美しいと思えるもの、大切に使い続けたいと思えるもの、そして使い続けられること。
この漆椀には、私の価値観が詰まっている。
疲れているときも時間がないときも、できる限り手を抜きたくない!
手を抜きたくなくても抜くしかないときもある。美しさと便利さ、両方備えているこの漆椀だからこそ、無理せずに自分ルールを貫くことができる。
水曜日、今日も午前中から予定がいっぱいだ。朝ごはんという楽しみがあるから、早起きも苦にならない。大サイズは、大きさと深さがシリアルボウルにもぴったり。この漆椀の使い方は自分次第だ。
そして漆器は汚れがこびりつきにくいから、忙しい朝の洗いものも楽でいい。
こんな美しい漆器が食洗機に耐えられるとは驚きだ。創業227年の越前漆器の老舗・漆琳堂が現代に合わせて、素地や天然本漆を研究開発したそう。今の八代目が継承してから「漆器を日常に」という想いで、次々と新しいことに取り組んでいる。
縄文時代にすでに存在した漆器は、アートではなくファンクショナルな生活の一部だったのだ。
あっという間の週末、理想の休日のすごし方
画面に映った漆椀をほめられた。陶磁器はこだわって選ぶ人が多いけれど、漆器を持っている人は少ないようだ。今は一番大きいものとその次に大きいものの2つしか持っていないが、今度は一番小さいものを買ってみようか。お椀だけど、小さいものはぐい呑みたいな使い方もできそうだ。
数が増えても入れ子にしてしまえるから、持ちものを少なくルールには抵触しない。深さがあるから、平皿を重ねるよりは場所をとる。でも、入れ子にしたら大きいものの中に収まるから、1つも4つも占めるスペースは同じ。
お米からおかゆを炊いて、実家から持ってきた実山椒の佃煮を添える。朱の漆椀におかゆを入れると、食欲が増す。熱を通しにくいから、熱々のおかゆでもちゃんと手に持って食べられる。
漆器は分業制で、何人もの職人の手を経て、ひとつの器ができ上がる。けれど、それで完成ではない。
本当の完成は100年後とも言われている。漆は湿度を吸収し吐き出すことを繰り返して硬くなっていく。さらに、拭くことで表面の粒子がなめらかになり、深い艶が増す。今はまだまだな私の料理の腕とともに、この漆椀の美しさも育っていく。
修理して、塗り直して、一生使える漆椀
上手じゃないけれど、自分で作った料理はおいしい。買ってきたお惣菜を盛り付けてもおいしそうだけど、やはり自分で作ると満足度が断然上がる。これからもできるだけ料理しよう。
ふたりなら、今あるものと逆の色を買おう。棚に並ぶ黒と朱の漆椀。すてきだ。
漆器は実にファンクショナル。少し気をつければ、ずっと使える。汚れがつきにくく、どんな料理にも合い、壊れても修理して捨てる日は来ない。こんないいものを、なぜみんな日常使いしないのだろうか。
こだわりのために手を抜くことをおそれない
見た目がよい、センスが合うのはもちろん、手入れのしやすさや使い勝手のよさも併せ持つものを選ぼう。
それは妥協ではない。自分の価値観が詰まった一人暮らしをデザインするためのこだわりなのだ。
中川政七商店「食洗機で洗える漆椀」
大椀:約890cc、直径150 * 高さ90(mm)、7,700円(税込)
大:約520cc、直径125 * 高さ75(mm)、5,500円(税込)
大椀:https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/g/g4547639461520/
大:https://www.nakagawa-masashichi.jp/shop/g/g4547639444851/