瀬戸内海に浮かぶ島々を結ぶしまなみ海道。その中央に位置する町・瀬戸田に、ホテル「yubune(ユブネ)」がある。宿泊者だけでなく地域の人々にも開かれた銭湯を備え、旅と日常が交わる特別な空間である。和モダンな建築やデザインに包まれながら、土地の文化や人の温もりに触れるひとときは、この場所ならではの体験をもたらしてくれる。
海と柑橘とアートが息づくまち、瀬戸田
船に揺られながら、瀬戸田港へ向かう。普段、なかなか船に乗ることがない私にとっては、非日常の体験である。広がる海と遠くに浮かぶ島々の景色を眺めていると、胸の内に高まる旅への期待感がいっそう大きくなっていく。港に降り立つと、小さな船が並ぶ情景とともに、美しい海と山のコントラストが目に飛び込んできた。
広島県の瀬戸内海に浮かぶ島々を結ぶしまなみ海道。その真ん中にある町・瀬戸田は、柑橘やアートに彩られた独自の文化を育んできた。海と山に抱かれた小さな港町は、訪れる人をやさしく迎えてくれる。
瀬戸内海の温暖で雨が少ない気候と、傾斜地に広がる水はけの良い土壌が柑橘栽培に適していたことから、広島はレモンの日本有数の産地として発展してきた。明治時代に始まったレモン栽培は、やがて国産レモン発祥の地として定着した。現在では、レモンを使ったスイーツや料理に加え、観光資源としても広く親しまれている。
瀬戸田には「しおまち商店街」という、昔ながらの商店街が残っている。瀬戸田港で船を降り、ほどなく歩くと、その商店街にたどり着く。通りにはカフェや土産物店が並び、名物のレモンを使ったスイーツや地元の味覚を楽しむことができるため、しまなみ海道サイクリングの人気立ち寄りスポットとなっている。さらに奥へ進めば、耕三寺や平山郁夫美術館などの観光名所が続いている。
まちに開かれた銭湯宿「yubune(ユブネ)」
かつて銭湯が人々の交流の場であったように、瀬戸田に誕生した「yubune(ユブネ)」もまた、まちに開かれた存在でありたいと願って生まれた。宿泊施設でありながら、地域の暮らしとともに息づく銭湯宿である。
なお、「yubune」の向かい側には、同時に開業したホテル「Azumi Setoda(アズミ セトダ)」がある。こちらは塩田と海運業によって大きな富を築いた江戸時代の豪商・堀内家の屋敷をリノベーションしたもので、歴史を映す荘厳な建物と、もてなしに使われた調度品や食器がそのまま息づき、今日も旅人を迎えている
Azumi Setoda、yubune支配人の窪田さんは、「yubuneでは、地元の人も利用できるにぎわいの場をつくりたいという思いがありました」と話す。周辺には銭湯がなかったこと、そして日本の伝統文化である銭湯が交流の場としてふさわしいという想いから、この地に銭湯の機能を備えた宿「yubune」は誕生した。
洗練されたデザインと日常が溶け合う空間
「yubune」と「Azumi Setoda」は、数寄屋建築で知られる建築士・三浦史朗が設計を手がけた。客室には土間や居間といった日本らしい造りを取り入れ、温かみのある照明を配し、国産のヒノキやスギを用いることで安らぎの空間を演出している。「シンプルながら良質な素材を使う」という理念が、両者に共通するコンセプトとなっているそうだ。
また、この地域の宿ならではの特徴として、自転車を客室内に持ち込める部屋も用意されている。瀬戸田を含むしまなみ海道はサイクリングコースとして名高く、サイクリストの宿泊も多い。自転車を持参する人にとって、目に見える場所に相棒を置いておけることは大きな安心につながるのだという。
また、ラウンジには瀬戸内や塩に関する本が置かれ、古くから「海の道」として栄えた瀬戸内海が育んだ文化と歴史に触れることができる。館内には風鈴の音が響き、心を安らげてくれる。静かに読書をしたり、語らいを楽しんだりできる心地よい空間である。
浴場で味わう、瀬戸田らしい癒しのひととき
先述のとおり「yubune」は銭湯の宿である。そのため、浴室のデザインにも強いこだわりが見られる。
ひと際、目を引くのが瀬戸田の海をイメージしたデザインだ。青いタイルは昼間の海を、白いタイルは静かな夜の海を表現している。この大理石を用いたモザイクアートは、美術家・ミヤケマイが手がけたものである。
さらに、広島名物のレモンやタコも描かれており、客室内に置かれた案内冊子を読むと一つひとつの絵に意味が込められていることがわかる。そんな愛らしく遊び心あふれる壁画を眺めながら、ゆっくりと体を温める。
浴室の隣にはサウナがあり、冷たい水風呂と涼みどころが完備されている。サウナは90〜93℃と高めに設定されている一方で、水風呂は14〜15℃とかなり低い温度に保たれている。温度変化が大きいため、通常よりも「ととのい」やすいのだとか。
ただし、水風呂の温度は季節によって調整され、「ぬる湯」と呼ばれる33〜36℃前後の体温に近い温度に設定されることもあるという。水風呂の冷たさが苦手な人でも、このぬる湯であれば安心して浸かることができる。
お風呂上がりには、地元の生産者のドリンクやアイスキャンディーで、ほてった体をクールダウンすることができる。広島県府中市の「東屋(ひがしや)」は、昭和8年の創業以来、手作りにこだわり続けているアイスクリーム店だ。
木の温もりに包まれた客室、静かに本を広げられるラウンジ、そして現代的に再解釈された銭湯。「yubune」で過ごす時間は、旅の疲れを癒すだけでなく、この町の日常に溶け込むような体験をもたらしてくれる。
地域に根ざし、未来をひらく取り組み
地域との関わり方について尋ねると、窪田さんはこう語ってくれた。
「yubuneでは朝食や夕食を提供していません。それは、飲食も含めて商店街でお金を使っていただきたいからです。地元の商品を販売する際も、既存のお土産店との競合を避け、地域にまだないものだけをつくるようにしています」。
自分たちだけでなく、まち全体が賑わう仕組みを意識しているのだ。
また、これまで「yubune」のスタッフは、地元以外の人材が多かったが、最近では地元出身者が少しずつ増えてきているという。中・高校生にインターンの場を開き、就職へとつなげる取り組みを進めているほか、家庭の事情で働き方が変わる人々にも柔軟に対応することで、地域全体で観光業に関わる機会が着実に広がっているのである。
「yubune」には、地元の人々も旅人も垣根なく集う。ここでは「観光」と「暮らし」の境界がゆるやかにほどけ、自然に人と人とが交わる時間が流れていく。「yubune」は、まちと旅人をそっと結ぶ交差点のような存在である。
まちを歩けば、地元のお年寄りが「おはよう」と優しく声をかけてくれる。そんな何気ないやり取りも、私にとっては非日常の体験であり、深く心に残る瞬間だった。またいつか、この場所で、人とまちが紡ぎ出す時間を過ごしたいと思った。
yubune|ユブネ
CURATION BY
宮城県仙台市。中学受験の受付事務を退職後、仙台にて行政関係の事務職や、東京・仙台を拠点とするWeb系の広告制作会社を経て、現在はフリーランス。行政でのWebメディア企画運営やWeb制作会社での経験を基に活動中。Webメディアで執筆、Web制作、SNSの運用、PR業務など。