Vol.163

KOTO

08 SEP 2020

<SERIES>アーティストFILE vol.14 考えるほど優しくなる絵。水元さきの

1995年生まれ、東京都在住。一般企業への就職を経て、2019年に独立。青を基調とした少ない線で描かれる女の子や日常の絵で人気を博す。主な仕事に『PHPスペシャル』(PHP研究所)2020年1月号~6月号連載『光のありか』、『早朝始発の殺風景』(青崎有吾著、集英社)の装画・挿絵、『12歳の少女が見つけたお金のしくみ』(泉 美智子著、宝島社)の表紙・漫画・挿絵、『ILLUSTRATION 2020』(翔泳社)掲載など。今回は、ZOOM LIFEのために描き下ろした「パワー」がテーマの作品を元に話を聞かせてもらった。

湧き上がって、追い風になる

「Power」


最初、彼女の「Power」を見た時は少し意外に感じた。何もない青と白の空間にふんわりと浮かぶ人物の絵は、日常生活をテーマにしていることが多い彼女からすると少し珍しいのかもしれない。テーマを聞いて思いついたものは「見えないもの」だったと言う。

「見えないものを何かに例えて描くのは正直難しいなと思ったので、本当に感覚で感じるままに描きました。なので、いつも描いている生活の一部のシーンのように具体的ではなくて、今回の作品は抽象的な絵になっていると思います」

真ん中に浮かんでいる人物は絵を見る人が自分を投影するための人で、何をするでもなく、ただパワーを感じている。日常生活のような何かをしている場面にパワーというテーマを当てはめられないと思ったため、出来るだけ削ってシンプルな構図にしたそう。

「パワーというものに説明を付けられないと思ったので、見た人が湧き上がるようなものを感じ取れる絵がいいなと思いました。パワーには“受け取るもの”って印象があると思いますが、個人的には自分の中から“湧いてくるもの”で、それが追い風のように、ふわっとやってくる感覚が私自身にあるんです」

「それは勢いのあるものではなくて、自分の中に徐々に静かに生まれて、後ろから溢れる力みたいなものなのかなと思ってこの仕上がりになりました」

昔から青が好きで、絵を描き始めた中学生の頃から青系で配色を統一している。海が好きという理由も青が好きなことに関係しているそう。彼女が思う「パワーは静かで自然と湧き出てくるもの」という印象も青と違和感なく調和している。

人にそれぞれのイメージの色を当てはめるとすると、青は知的でクールなイメージを思い浮かべる。彼女が話しているその姿や話し方は落ち着いていて、彼女自身にも青はよく似合っていると思う。そして話の合間によく見せてくれる笑顔からは、静かな彼女のあたたかい人柄を感じた。

当たり前な一瞬こそ残したい

見えない「Power」とは対照的に、他の作品は過去の記憶から引き出された光景や自身が経験したことなど、彼女が見てきたものが描かれている。毎日過ぎていく時間の中で、丁寧に切り取られる生活の一瞬。彼女はどんな時、どんなものを見た時に絵を描きたいと思うのだろうか。

「水と光と風が好きなんです。水面に反射した光を見た時や、風に吹かれて気持ちいいって思った時、電車に乗っている時や歩いている時に空を見ると絵を描きたくなりますね。陽が一番てっぺんに昇ると影が濃くなったり、陽が沈んで夕方になったりすると、情景って陽の高さで変わりますよね。その光の強さで時間を感じるし、時間の中に人の暮らしがある。光や空を通じてそういうことを感じると、今この瞬間を残したいなって思います」

「ツキがきた」はそのどれもが詰まっている絵だと思う。水面に映る月と川に反射するビルの光、風が吹いてさざ波を立てているような雰囲気もあるし、ヒールの靴を履いて足が疲れている様子からも、一日の終わりという時間の経過を感じることができる。そして、この景色は彼女の地元・両国をモデルに描いたそう。

「ツキがきた」

光や空がいいなと思い始めたのは会社員時代から。毎日乗る通勤電車からの景色、営業で外回りをしている時の景色を見て「変わっていく明るさと人の動き、歩いている人達の変化が面白くて、それを大事にしたいと思いました」と話す。そして、2年間勤めた会社を退職。独立してから生活のリズムが変わったことで描く絵も変わってきたそうだ。

「会社を辞めたら、夕方にスーパーに行けるようになったんです。そうすると、街中に子どもも子連れのお母さんも沢山居ることに気付きました。自分が生きている中で交わらなかった人達と時間が交差するようになったことで『なんにしよっかな』は描けました。営業職の頃には描けなかった絵です」

「なんにしよっかな」

誰かにとって何てことのないスーパーで見かける景色や、陽が昇って沈むことの当たり前さは、誰かにとってはかけがえのないこと。それは確かに美しい事象だけれど、感じ入ることを疎かにしてしまうくらいに小さなことなのも事実だ。やわらかい日常の絵が生まれる理由は、彼女が日々の小さなことに目を配り、心を配ることが出来るからなのだと思う。

ドラマよりリアルを求める

彼女の心配りは、絵を見る人に対してもされている。まず、絵の人物に対して見る人がどれ位離れたステータスなのかをいくつか想定して、絵に違和感がないかを量る。例えば子どもの女の子の絵なら、成人女性や男性、子どもの男の子が見たらどうか?のように、年齢や性別、生活環境を想像してみる。さらにストーリー性や意味を含んでいる絵だと、それを見た人がどう捉えて感じるかを考えることが、制作過程の中で一番パワーを使う時だと言う。

7月にギャラリー・ルモンドで開催された個展「今日ね、」では家族や子どもの絵が多く展示された。(「なんにしよっかな」も同個展作品)

「家族に対して良いイメージを持たない人や不仲な人も居るので、ドラマチックに演出されたような内容には描かないようにしています。『感動する場面です』とか『ハッピーな場面です』みたいに演出をしてしまうと、見る人が感じ取る幅が狭められて、人によっては受け取りたくなくなると思うので、淡白に描きつつも、その状況自体はリアルにすることを意識していますね。それは家族に限らず、日常の絵全般で気をつけていることです」

作品「おかえりー」は、子どもの頃に何でも遊び道具にして遊んでいたことを思い出して描いた絵。彼女自身、過去を懐かしく思いながら作品を描き進めてきたが、見る人も同じように感じるのかどうか全く未知だったそうだ。

「それぞれの絵に私の意図はありますけど、それをそのまま見る人に受け取って欲しいとは全く思っていないんです。それに家庭環境は様々で、そういう思い出がない人ももちろん居ますし。それでも個展に来てくれた人から『懐かしい』、『見覚えがある風景』や『自分を描いてもらったみたい』などの声が多かったのは嬉しかったです」

「おかえりー」

彼女の作品を見て感じていたのは、心にすっと素直に入ってきて、違和感のある「?」が浮かばないこと。それは「ドラマチックにしないこと」と「客観的に観ること」によって、彼女の作品は何かに偏らずフラットになっているからなのだと思う。ただ描くだけではなく、自分の絵というフィルターを通して、物事や人のことをよく見て想い及んでいるのだ。

制作者としての責任と芯

彼女がここまで考えるようになったのは、退職後に時間に余裕が生まれ、情報収集が捗るようになり、コラムなどで色々な考えを知ったり哲学の本を読んだりしてからだそう。今、世界で何が起きているのかにもきちんとアンテナを張り、飛び交う情報に向き合っている。混沌を極める2020年は、多くの人が毎日流れてくるニュースに辟易したはず。作品「放り投げたくなる日々、手放してはいけない生活」は同じく彼女もそんな時に描かれた絵だ。

「私も色々と調べましたし、自分に何が出来るかなど考えていましたが、でも『もうやってられんわ』っていう時の絵です(笑)向き合っても相手が大きすぎて、それでも向き合って暮らしていかないといけない事を考えて『あーあ。』ってなっている感じです」

「放り投げたくなる日々、手放してはいけない生活」

考え過ぎて疲れてしまうこともあるが、社会を生きる一人の人間として当事者意識をしっかりと持ち、自分の絵が人に与える影響を理解している。最後にイラストレーターとして大切にしていることを聞くと、それもやはり「考えること」だった。

「自分の手で何かを創って、世に発信する制作者としての責任があると思うんです。発言に責任が伴うのと同じで、絵を描いたら受け取る人が居て、その人がどう感じるかまで考える。もし万が一、良くないことが起こったとしても、自分で責任が負えるように考えてものを創ることに気を付けています。それは悪いことに対する対策だけという訳ではなくて、より良くなるように、自分が作り出したものの中身の芯はちゃんと通しておかないといけないなと思います」

強い思考力から繰り出される、作品に対しての情熱と見る人への思いやりがよく伝わってくる「考えること」についての話。どの作品にも、その思いは張り巡らされている。「私の絵を描くのは私しかいない」という強い気持ちを持っている彼女が、これからどんな考えられた作品を見せてくれるのか。今後もその制作活動から目が離せない。

Information

水元さきの
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