手製本の魅力
物体としての「本」の良さとは、何なのだろう。すり切れ、色褪せた表紙。何度も読み聞かせしてもらった絵本。読みながら引いたアンダーライン…。いろいろなものがあると思うが、その良さのひとつに、「自分だけのものを創り出す喜び」を付け足したい。
例えば著作権の切れた文豪の小説を掲載しているサイト「青空文庫」から、夏目漱石の「夢十夜」を借りてくる。「夢十夜」は、第一夜から第十夜までの10章からなる短編小説だ。いずれの章も「こんな夢を見た。」という出だしから始まる。これをどんな風に本にしたら、面白いかと考える。
A4用紙1枚をいっぱいに使って、第一夜を打ち出してみる。ペラリとめくって2枚目に第二夜。文豪の物語だから、フォントは和風なものがいい。一夜ごとに紙の色を変えてみるのはどうだろう。いやいや、紙っぺら10枚で終わらせるのも面白くない。手のひらサイズの小さな本にすれば、この短編小説も立派な厚みのある本になるのではないか。となれば、挿絵も欲しい。表紙のデザインはどうしよう…。
そうして本を自分の手で、自分の解釈で作り出すことができたとしたら?きっとその本をより深く理解し、楽しむことにつながるのではないだろうか。そんな自由な楽しみが、手製本にはある。
「コプティック製本」の機能美
かつては木の板を表紙に、羊皮紙を本文に作られていたこの技法。原始的なこの技法で作られた本には、聖書を守るための工夫や美しい装飾が随所に散りばめられている。通常、ハードカバー本は背がしっかりと固定されている。本を綴じるための麻糸に加えて、補強のための寒冷紗(かんれいしゃ)、開きを良くするためのクータと呼ばれる紙、厚紙などでガッチリ固められているのが通常だ。
ところが原始的な製本方法であるコプティック製本にはそれらの構造がほぼ存在しない。背に補強のため蛇腹状の紙を入れる場合もあるが、基本的には本文を縫い止める麻糸と、花布(はなぎれ)のみで構成されている。
これにより現代のハードカバー本ほどではないが、市販のキャンパスノートのような中央に縫い目があるだけのものに比べれば、圧倒的に頑丈な構造になっている。しかもこの花布、刺繍のチェーンステッチのような美しい姿をしている。
ドイツ装、プララポルテ製本、リボンリンプ製本、和綴じ…。製本方法には数多くの種類がある。手のひらに乗ってしまうような大きさの豆本や、蛇腹状のもの、三角形のものなど、大きさや形も様々。素材も革、布、紙、木と自由自在だ。
「文庫改装本」で本の新たな価値を見出す
大切な本であればあるほど、この「壊し、再構築する」という行為は勇気のいる作業だ。だがその分、その本に対する想いや解釈が浮き彫りになり、面白いものでもある。自分にとって本当に大切なものは何か、残すべきものは何か、試されているような気持ちになるかもしれない。
今度の週末は文庫改装本にチャレンジ
栞紐は、本の対角線の長さ+1cm程度の長さになっている。花布はかつて絹糸で編まれていたが、現代はリボンのような形になっているものを貼り付けるのが普通だ。
よく書店で売られている本は、背の丸い「丸背」と呼ばれる構造をしている。対して今回作るのは、文庫の形に合わせた「角背」と呼ばれる構造だ。
本を大きく開いた時、本の背の部分は弧を描く。一方で角張った背表紙の部分は動かない。形の異なる二つの構造を繋ぐ蝶番のような役割を果たすのが、クータという構造だ。筒状に折った丈夫な紙で、今回はクラフト紙を用いている。
今回の表紙のデザインはフリー素材をIllustratorなどの画像編集ソフトで加工し、印刷したものを用いた。市販のプリントペーパーや和紙を使うこともできる。タイトルは印刷した紙を貼ったりシルクスクリーンやステンシルを使って入れることもできるし、無理して入れなくてもいい。
例えば梶井基次郎の小説「檸檬」を製本するなら、タイトルをなくし、代わりに雑誌から切り抜いてきたレモンの写真をコラージュしてみても面白いだろう。タイトルの代わりに印象的な一説を入れるのもいい。そんな工夫が作る本にいっそうの愛着をもたらす。
貼り合わせるのに使う糊は、木工用ボンドとでんぷんのりを半々で混ぜ、塗りやすいように少し水を加えたもの。木工用ボンドだけだと速く乾きすぎてしまい、全面に塗り広げる前に乾いてしまう。でんぷんのりを混ぜると乾きが遅くなるので、落ち着いて作業ができる。
紙を糊で濡らすと紙が膨張してシワだらけになるが、心配いらない。乾くと再び紙が縮み、ピンと張ってくれる。しかしこの時「紙の目」を見誤ると、ひどい歪みが出てしまうことがある。
紙には木目のように紙目というものがある。例えば新聞紙を破った時を思い出してほしい。すんなりまっすぐ破れる向きと、そうでない向きがあると思う。画用紙やボール紙など、他の紙にも同じように紙の目というものが存在しているから、こんな現象が起きてくる。製本の時の紙目は基本的に、歪みが出ないよう全て縦で揃えている。
本当に大切な1冊を探してみる
機械印刷が当たり前になった時代においても手製本がなくならなかったように、電子書籍が当たり前になった時代でも、物体としての本はおそらくなくならない。きっとこれからの本は内容だけにとどまらない、見ているだけでも美しい、工藝品としての価値も新たに見出されていくのだと思う。
情報やモノが溢れる現代社会において、本当に自分に必要なもの、残しておきたいモノを見定めるのは、容易ではない。誰しもが特別な想いを抱く特別な1冊を、自らの手で加工しバイブル的な存在へ昇華させる。
かつてフランスの貴族たちが、製本職人にこぞって本を作らせたように、再び手製本を作る時代が来るかもしれない。そんな世界に一冊しかない本が、自分の本棚にあったとしたら。それは一人暮らしの生活や空間に張りを与え、自分自身のこだわりに繋がっていくのだろう。