Vol.630

FOOD

28 FEB 2025

夢中になるおいしさ。山羊のチーズ、シェーブルの魅力

「chèvre(シェーブル)」、というチーズをご存知だろうか。現在筆者はフランスに滞在しているのだが、フランスでおいしさに感動した食べ物のひとつが、この「シェーブル」というチーズだった。日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、フランスではとても一般的なチーズだ。それもフレッシュチーズから、数ヶ月熟成されたものまでさまざまな種類が揃っている。独特の風味を有したシェーブルを食べていると、「香り」「食感」など、日頃つい疎かにしてしまう食事への感度が上がるように思う。そこで今回は、このシェーブルチーズをご紹介したい。

チーズにも旬がある。春の象徴、シェーブルチーズ

さまざまな種類があるシェーブルチーズ
シェーブルとは、山羊の生乳を使ったチーズの総称のこと。日本だと牛乳を使ったものがほとんどだが、フランスだとこの山羊のチーズも牛乳と同じくらい一般的だ。チーズ屋さんはもちろんのこと、スーパーにもずらりと並んでいる。

これまた日本だとあまり馴染みがないかもしれないけれど、実は果物や野菜のように、チーズには旬があり、フランスでは春先になるとおいしいシェーブルチーズが出回るのだ。冬に子どもを生んだ山羊たちが子山羊を育て、そしてそのお裾分けをもらえるのが3月頃。採れたての山羊の乳を使ったシェーブルチーズの生産が、春から夏の頃までピークを迎える。そのためフランス人の中には、シェーブルを見て春を感じる人もいるという。

市場に行くと、いつも何十種というチーズが並んでいる

こうしたエピソードや知り合いのフランス人たちの様子を見ていて、私はチーズとは自然から生み出されるものなのだ、という当たり前のことをひしひしと感じるようになった。

日本だとプロセスチーズという複数のナチュラルチーズを混ぜて再加工し、成形し直したものが一般的だが、フランスでは加工前のナチュラルチーズが基本だ。この2つのチーズの決定的な違いを、私は勝手に「個性」があるかどうかだと思っている。

まずプロセスチーズの場合は複数のチーズを混ぜてしまっているため、各々の種類が持っている風味や味わいを楽しむことができない。そしてプロセスチーズは、熱処理の過程で菌を無くしてしまうため、熟成が進まないのである。だから保存が効き、香りも味も安定しており便利ではあるが、私はどうしてもやや面白みに欠けると思ってしまう。

ときどき「糠床」を育てることにハマる人がいるが、それに似た感覚かもしれない。その年の動物たちの様子や気候による材料の変化があり、そしてチーズに加工されてからはカビなどの菌により風味が刻一刻と移り変わってゆく。こうした人間の力では及ばない世界があり、それがさまざまに働いて、思いもよらない奇跡みたいなおいしさが生み出される。これこそがチーズのおもしろさ、そしておいしさの醍醐味ではないかと思うのだ。

風土と歴史が絡み合い、生まれる唯一無二のチーズ

チーズ屋で購入した4種類のシェーブル
フランスではチーズもワインと同じように、「terroir(テロワール)」という考え方をとても大切にしている。テロワールとは、地球を意味する「terre」から派生した言葉で、地形や土壌、気候など、土地特有の環境を包括した言葉である。独自のテロワールがその土地で生産されたワインやチーズを育む、という考えが根ざしているのだ。

例えば、牛や山羊が食べる草が、海岸沿いなのか山岳地帯なのかでも採れる乳の味が変わる。そして乾燥しているのか大きな風が吹く場所なのか、さまざまな要因によって風味が育ってゆくのである。チーズは味はもちろん、地方によって見た目も独自の進化を遂げている。フランスだけでも何百、何千という種類のチーズがあると言われており、確かな数を誰も把握できていないというのが現状なのだ。今回はそんな数ある中からシェーブルチーズの一例を、少しだけご紹介したいと思う。

通称はエッフェル塔。Pouligny-Saint-Pierre (プリニー・サン・ピエール)

どっしりとしたフォルムは、ナイフを入れるとき楽しい
ピラミッド型をしていることから、「エッフェル塔」という名称でも親しまれているチーズ。名前は、原産の街であるフランス中部のベリー地方にあるPouligny-Saint-Pierre(プリニー=サン=ピエール)という小さな村に由来している。最初はシェーブル独特の酸味があるが、熟成が進むとコクとまろやかさがでてくる。

小さくて手頃な値段。Crottin de Chavignol (クロタン・ド・シャビニョル)

コロンとかわいい見た目をしている
シェーブルの中でも比較的手頃で、よく見かける種類がこちら。パリの北西に位置するロワール地方・シャビニョル村が発祥だ。名前に使われている crottin(クロタン)とは、フランス語で馬や羊などの糞のこと。放置して真っ黒いカビに覆われてしまった姿が糞に似ていたことから、このような名前を付けられたという説がある。熟成が進むと青や灰色のカビで覆われはじめ、コクが増す。

魅力的なハート型のCœur du Berry(クール・デュ・ベリー)

形が特徴的なので、お土産にしても良さそう
プリニー=サン=ピエールやクロタンはシェーブルの中でもかなり代表的な種類だが、こちらはフランスのチーズ屋さんなどで、たまに見かける程度のチーズ。ハート型がかわいらしく、思わずお土産にしたくなる見た目をしている。フランスのベリー(Berry)地方で生産されているチーズで、Cœur du Berryは直訳すると「ベリーのハート」の意味。酸味が爽やかで、クセの強いシェーブルの中でも、私は比較的食べやすい種類だと感じている。ちなみに、ハート型のチーズといえば、ノルマンディー地方で作られているNeufchâtel(ヌーシャテル)の方が有名だと思うが、ヌーシャテルは牛乳を使ったチーズだ。

チーズがないとディナーがおわれない

Sainte-Maure(サント・モール)という種類。切るとねっとりとしたテクスチャーで、私の好みのチーズ
日本だとグラタンやピザなど、トッピングとしてチーズを使うことが多く、チーズをそのまま食べる機会はあまりないかもしれない。私もパーティーではなく日常で、チーズをいつ、どんな風に食べたら良いのか、いまいちピンときていなかった。そんな私にチーズを味わう時間の良さを教えてくれたのは、以前1ヶ月ほどホームステイをさせてもらったフランスのとある家族だ。

ホームステイ先の老夫婦といつも夕食をともにしていたのだが、旦那さんはいつも夕食後に私にチーズを勧めてくれた。最初こそ旅行者が持つ好奇心に背中を押されて食べていたけれど、慣れてくると、次第にチーズなしでは食事がおわれない感覚になってくるのである。

白ワインと合わせてすっきりと
19世紀もおわり頃、「La Physiologie du Goût(味覚の生理学)」という本を書いた、著名な美食家のAnthelme Brillat-Savarin(ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン)」はこう言った。
Un dessert sans fromage est une belle à qui il manque un oeil.
チーズのないデザートなんて、片目のない美女だ。
食後のデザートと言えば甘いものと思っていた私にはチーズがデザートになるなんてと、飲み込むまでに少し時間がかかったけれど、だんだんと意識ではなく体が理解をしてくるのだ。チーズは食事の最後を彩る、デザートなのだと。

チーズが作る時間は、とても贅沢
もちろんフランスでも、チーズはソースやトッピングに使われるし、パーティーやアペロなどでもよく食べられている。けれどもまるで1日のご褒美を味わうように、食後にチーズを食べる楽しさを、みなさんにも味わってみて欲しいと思う。

シェーブルは、食べはじめは酸味があり爽やかだが、熟成が進むとコクがでてまろやかになってゆく。夜な夜なチーズを冷蔵庫から取り出して、自分好みの熟成度合いを見つつ、少しずつナイフで切って味わう時間は、ささやかだが日々に彩りを加えてくれる。

一人でチーズと向き合うのも良し、好きな小説を読みながら味わうのも良し、誰かとじっくり話し込む時間にも、ワインとともに少しずつ味わえるチーズはとても適している。みなさんも、ぜひ暮らしにシェーブルチーズを取り入れて、1日のおわりに贅沢なひと時をつくり出してみてはいかがだろうか。

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