Vol.790

MONO

11 SEP 2026

偶然に委ねて、まだ知らない香りへ。ann fragranceの香り創り体験

お店で店員にすすめてもらったものや、何気なく手に取った本、誰かから贈られたお菓子が、思いがけずお気に入りになった経験はないだろうか。自分の好みだけを頼りにしていたら選ばなかったものと出会い、世界が少し広がる。そんな偶然に身を委ねることも、人生の醍醐味のひとつだ。香り創りの専門店「ann fragrance(アン フレグランス)」では、専用のビンゴカードを使い、37種類の香りから5種類を選んでいく。その組み合わせはなんと51万通り以上。今回は、いつもの「好き」から一歩外へ踏み出し、まだ知らない香りと出会う体験を紹介する。

「香り創りの専門店」ann fragranceとは

表参道のビルの一室に構えられたAtelier ann
東京・表参道と浅草にアトリエを構える「ann fragrance」は、自分だけの香りを創ることができるフレグランスブランド。完成した商品を選ぶのではなく、37種類の香りを試し、調合師と相談しながら、一人ひとり異なる香水を完成させていく。

今回訪れたのは、表参道にある「Atelier ann」。最上階のワンフロアを贅沢に使ったアトリエは、重厚なダークネイビーの絨毯と、やわらかなピンクに包まれた調合ルーム、白い漆喰が幻想的な光をたたえる香りのセレクトブースから構成されている。美しさと静けさが共鳴する空間は、日常から少しだけ離れ、自分だけの香りと向き合う“異世界”への入口のようだ。

階段を上ると異世界に紛れ込んだよう
アトリエで過ごす約50分間には、香りを選ぶだけでなく、配合比率を考え、液体の色やラベルに記す名前を決める時間も。一本の香水を手に入れるというよりも、好みの香りにたどり着くまでの時間そのものを味わう体験を提供している。

Atelier annのためにつくられた37種類の香り

好みの香りを選ぶ
セレクトブースには、Atelier annのために用意された37種類の香りが並んでいる。

フルーティ、フローラル、ウッディ、オリエンタルなど、さまざまな香調を網羅する一つひとつの香りは、何十種類もの原料を緻密に組み合わせてつくられたもの。香りを評価する専門家であるエヴァリュエーターが監修し、異なる香りを重ねても全体のバランスが崩れにくいよう設計されているという。

一般的なオーダーメイドフレグランスでは、ブレンドできる香りが2〜3種類に限られることも少なくない。そのなかで、最大5種類を自由に重ねられることは、Atelier annならではの大きな特徴だ。

選べる香りが増えるほど、組み合わせを美しくまとめるための設計は複雑になる。しかし、最大5種類までブレンドできるからこそ、一つや二つの香りでは生まれない奥行きや、予想していなかったニュアンスを引き出すことができるのだ。

ビンゴカードを使い、先入観なく香りを選ぶ

気に入った香りをビンゴカードで記録
香り選びに使うのは、37個の番号が並んだ専用のビンゴカード。気になった香りと同じ番号の窓を開け、候補を記録していく。

いくつもの香りを試すうちに、最初は意識していなかったものが気になったり、好きだと思っていた系統とは異なる香りに惹かれたりする。

一般的な買い物では、ブランドや香りの名称、パッケージなどを手がかりに選ぶことが多い。しかし、ここで頼りになるのは、その瞬間に「好き」「気になる」と感じた自分の感覚だ。ビンゴカードを開いていくゲームのような仕組みも、考えすぎず、直感に身を委ねる手助けをしてくれる。偶然のように見える選択のなかから、自分でもまだ気づいていなかった好みが、少しずつ浮かび上がってくる。

51万通り以上から生まれる、予想外の組み合わせ

調合師の方と相談しながら、好きな香りに近づけていく
37種類のなかから私が最終的に選んだのは、5番「フラワーシャワー」、31番「タスカーブルー」、35番「ファントムムスク」の3種類。

「フラワーシャワー」は、ローズやミュゲ、ジャスミンなど、咲きたての花々を束ねたような軽やかな香り。「タスカーブルー」からは、木のぬくもりと花の甘みが重なる、深みのある印象を受ける。さらに、シトラスムスクの「ファントムムスク」が、二つの香りをやわらかく包み込んでいく。

一つひとつを嗅いだときには、それぞれ異なる印象を持っていた3種類。しかし重ねてみると、花々の華やかさにウッディな深みが加わり、ムスクの穏やかな余韻が全体をつないでくれた。軽やかさと落ち着きが同居する、爽やかでありながら奥行きのある香りへと変化していく。

調合スペース
Atelier annでは、37種類から最大5種類まで香りを選ぶことができ、その選択肢は51万通り以上。とはいえ、必ず5種類を使う必要はない。今回のように3種類に絞り、気に入った香りの個性を生かしながら組み合わせることもできる。さらに配合比率を変えることで、完成する香りの表情は細かく変化していく。

最初からテーマを決め、それに合うものだけを探していたら、この3種類にはたどり着かなかったかもしれない。偶然選んだ香り同士が重なり、自分一人では想像していなかった方向へ広がっていくことも、この体験のおもしろさだ。

香りに色と名前をつけ、完成させる特別な一本

インテリアやその日の気分に合わせて色を選ぶ
配合が決まったら、クリア、ピンク、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、パープルの中から、液体の色を選ぶ。

今回は、爽やかな夏の空気を思わせる淡いグリーンを選んだ。透明だった液体にゆっくりと色が加わると、それまで目には見えなかった香りの印象が、一つの風景として立ち上がってくるようだった。

色を付ける作業も見ていて楽しい
香りの名前も、自分でつけることができる。8月にこの場所を訪れた記憶を残すため、フランス語で「8月に」を意味する「en Août」と名づけた。名前を印字したラベルをボトルに貼れば、世界にひとつだけの香水が完成する。

レシピは、カードに記録して持ち帰ることができる。偶然から生まれた香りでありながら、使い切ったあとも同じ配合で再注文できるサービスだ。

「今の自分」を表すパートナーに

作った一本を家に
こうして完成した香りは、自分について何かを語る、小さな手がかりのようでもある。

37種類を順番に試し、そのとき自分が反応したものを拾い上げる。そこには、これまで自覚していた好みとは少し異なる、「今の自分」の感覚が表れているのかもしれない。

数カ月後、あるいは数年後にもう一度体験したら、まったく異なる香りを選ぶ可能性もある。その時々の自分が惹かれた香りを組み合わせ、一本のミストとして残す。香り創りは、少しずつ変化していく自分を記録する体験でもあるのだ。

洋服やインテリアにも好きな香りを

クローゼットに吹きかける
完成したのは、強く主張するのではなく、身近なところで穏やかに香る香水。外出前に洋服へ吹きかけたり、気持ちを切り替えたいときに身の回りの布へまとわせたり。ふとした瞬間に香りが立ち上がるたび、8月にアトリエで過ごした時間がよみがえる。

朝はカーテンに吹きかけ、香りとともに一日を始める。仕事を終えたあとは、ソファのクッションにひと吹きして、くつろぐ時間へと気持ちを切り替える。眠る前には枕カバーにまとわせ、静かな余韻を楽しむ。肌につける香水とは異なり、暮らしのさまざまな場所に香りを忍ばせられるのが魅力だ。

シーズンごとに、季節に合う香りを作りに行くのも良さそう
自分で選び、調合した香りが部屋に漂うと、見慣れた空間にも少しだけ新鮮な空気が生まれる。香りそのものだけでなく、ともに過ごす時間まで、自分らしく整えてくれる。

いつもの選択から一歩外へ出て、偶然に導かれるまま香りを選んでみる。そこで出会うのは、想像していなかった組み合わせだけでなく、まだ知らなかった自分自身なのかもしれない。

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