Vol.108

KOTO

28 FEB 2020

<SERIES>アーティストFILE vol.8 現実じゃない現実へトリップしたい、原倫子

長野県生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。M Jイラストレーションズ修了。2017年からフリーランスのイラストレーターとして活動を始める。書籍、雑誌などエディトリアルを中心に制作活動を広げ、主な取引先にマガジンハウス、集英社、早川書房、KADOKAWA、講談社などがある。「パワー」をテーマに描き下ろし制作を依頼した。

当たり前にくる春がすき

「春の訪れ」
彼女が「パワー」から思い浮かべたものは毎日の何気ない行動。猫2匹と一緒に暮らすインドア派の彼女は旅行などで遠くに出掛けたりするよりも、家に居る方が好きだそう。

「例えば『ハワイで特別な体験をしました』みたいな非日常的なものにあまり興味がなくて、それよりも寝たり食べたりする当たり前の日常生活の方に、私はよりパワーを感じます」

ちょうどこの制作を始めた頃、気温が上がって暖かい日が続き「そろそろ春が来たな」と感じたそう。春は彼女のお気に入りの季節でもあり、「春が来る時ってすごいパワーを感じる」と話す。

「春の頃に出回る花が好きで、最近八重咲きの「バックパッカー」というチューリップを買いました。散歩も好きで気分転換によくぶらりと出掛けるんですけど、その帰りに花を買って歩く帰り道ってすごく気分が良いなと思って。真っ直ぐ帰るつもりだったけど、遠回りして『花でも買おうかな』という気分になって家に帰っているところをイメージして描きました」

自由気ままな猫のように

使用する画材は主に色鉛筆、コピックペン、アクリルガッシュ。少しゆらゆらとした線には漫画用のつけペンを使っている。この情緒的な線が彼女の作品の特徴でもある。

「つけペンの持ち手を遠くに持ってプルプルしながら描いています(笑)黒いところは全部つけペンで描いて、線が太めのところは最後の仕上げに少し加筆しています」

この線を描く時が一番パワーを要する作業で、それまでは淡くてぼやぼやとした絵に黒などの一番濃くて強い色を最後に入れて絵を締めるそう。「春の訪れ」の場合だと女の子の線と鞄だ。

「黒を入れると絵がすごく変わるのが楽しくて、最後にとっておいています。絵が壊れて台無しになる可能性もあるけど、勢いで描かないといけない部分なので気合が入りますね」

つけペンで描いた線から色がはみ出している部分と、はみ出していない部分がある。なぜそのように描いているのか理由を聞いた。

「背景の高架やビルの部分は絵の中で主張するパーツというよりも、効果的に色を置きたい所なのではみ出ないように描きます。でもそれが多いと時間がかかってしまって自分の気持ち的にも窮屈になってしまうので、勢いのある部分も欲しくなるんです。それがコートの部分で上から下にガーって勢い良く色を引きました。良い意味で少し雑さが残っているとニュアンスにもなるので、はみ出る部分とそうでない部分を使い分けています」

チューリップの色から色彩を広げていった「春の訪れ」。色が決まっていないと何も進まないそうで「色は感覚で決めていきます。感覚じゃないと嫌になっちゃうから」と言う。

「本当は何もない紙に思いついた色をポンと置いて、それが呼び水となって絵が広がっていくのが一番良いですね。最初に決めてからやるのは好きじゃなくて、行き当たりばったりの方が楽しいです。車だと道路に沿って走らないといけないし、下手に脇道に入ると帰って来られなくなっちゃう時ありますよね。歩きなら何も考えなくても平気だし、自由に動けるし、だから私は散歩が好きなんだと思います」

話を聞いていると、彼女が自分の五感や感覚をすごく大切にしていることが伝わってくる。毎日自分の気持ちが赴く方向へ素直に進み、感覚が煌めいた瞬間を忘れてしまわないうちに絵に描いているのだと思う。猫が散歩をするように軽やかに自由に、自然体でいることが彼女の制作には欠かせない要素なのかもしれない。

時計の針はないほうが好き

歩いている時は自分の視界をキャンパスのように四角型に切り取って歩いているそう。その四角の真ん中に入ってきた赤い屋根を中心にした「Landscape05.」が彼女のお気に入りの風景画だ。

「木の間に見える赤い屋根が何なのかよく分からない程度の描写で、画面の起点になっているところが個人的に好きです。時間帯を決めて描くのがあまり得意じゃなくて、この作品は空と道路を同じ色にしました。決めてしまうと空を『こういう色にしなきゃ』と自分の中で縛りが生まれて、想像が広がりづらくなってしまう気がしていて。「春の訪れ」もその気持ちがあって色付けしていません。朝でも夕方でも一日のどこかに見えればいいかなって思います」

「Landscape05.」

リアルと夢をふらふらしたい

制作のインスピレーションを聞くと彼女は笑顔で即答した。
「私は断然言葉ですね」

「本当は『インスピレーションは音楽です』ってカッコよく言ってみたいですけど、さっぱりで(笑)多分小説を読むことが好きだから、言葉なんだと思います。音楽だと声や楽器の音の起伏などで感情が分かりやすいけど、文字は文字だけだから解釈が自由ですし、言葉の奥の情景や想像を広げやすいのだと思います」

個展の準備はまず言葉を決めることから始まる。以前に開催した個展「的皪(てきれき)」(H Bギャラリー/2018年)、「Sweet Spot」(ギャラリー・ルモンド/2019年)も一番始めにタイトルを決めたと言う。小説を読んでいて心に残ったものや辞書を引いて面白いと思った言葉をストックしているリストもあるそうだ。

「その時の自分の状況に、ある言葉が結びつく瞬間があって。それに自然と引っ張られて、『この言葉にふさわしい世界観を広げるにはどうしたらいい?』ってことを考えるのがすごく楽しいですね」

言葉から受けた閃きを絵の中に落とし込む過程の中で、彼女がやりたいと思っていることは「絵の中でしかできないこと」だそう。ふたつの作品を例に教えてもらった。

「ベランダに立つ二人に木々がつくる影があたっているのですが、現実的に言うとこの影はこんなに濃くなるはずがなくて本当はあり得ないですよね。でも影じゃなくて柄に見えてもいいし、あり得ないことでも絵の中が現実で、絵の中で成立すればいいと思っています」

「ブランチ」
「私の絵は形のデフォルメが穏やかである分、見る人が『何てことのない風景だけど、何かがひっかかる。この変な感じは何だろう?』って正体がよく分からない感覚に陥るような絵を描くことを意識しています。「見つめ合う」の女の子の動作も日常に溢れているものだけれど、でも現実的に考えると手で曇りを拭く部分ってもう少し上のはずですよね。この部分を拭いても見えないし、「見つめ合う」っていうタイトルなのに目が見えていないし」

「でも『絵がカッコよければいいでしょ?』って私は思っています。リアルなモチーフを使いながら夢を見たくて。現実の世界のようだけれど違う、そんなところへ絵を描くことでトリップしたいです」

「見つめ合う」
「確かにそうだな」と言われてみて初めて気付く、自分がいる現実の世界と彼女の作品のギャップ。見慣れた場面だけれど、その奥に少し影を感じて、それが何なのか答えを見つけようと思わず作品を見つめてしまう。そうしている内に、こことは違うどこかに居る気分になる。彼女の作品に多くの人が引き寄せられてしまう理由はきっとここにあるのだろう。

どんな言葉も全力で

次に描きたい言葉はもう決まっているそうで、それはたまたま友人がポロッと溢した言葉で、彼女が気になっているモチーフと繋がる言葉だった。思わず「ちょっと待って。それ何?」と聞き返したらしい。「でも今はまだ秘密です」と話す。今後の作品や個展を楽しみに待ちたい。

本当に楽しそうに絵について語ってくれる明るい彼女。依頼の仕事ではたまに難しいことを要求されて苦しんだり、悩んだりすることもあるようだが、それもなんだかんだ楽しんでいる様子が伝わってくる。彼女に今後の展望を聞いた。

「自分が選んでいるモチーフってすごく狭い世界だなと思います。世の中の事象の少ない部分しか描けていないので、どんなものでも自分の絵にできるチカラが欲しいです。男性も違う人種の人も描けるようになりたい。後から思うと色々と至らないな、まだ力不足だなって感じる時もありまが、その都度ベストは尽くしているので今後もそれを続けていくのみですね」

発せられた瞬間に消えていってしまう言葉を、色に形に絵にしている彼女は、花を愛で日々の小さな出来事を慈しむ広くて優しい心を持っていた。現実を見ながらも夢を見させてくれる彼女の作品は、次はどんなところへ私たちをトリップさせてくれるのだろう。これからも彼女の制作活動から目が離せない。

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