Vol.388

MONO

04 NOV 2022

ロッキングチェアは人生のための椅子。秋田木工の曲げ木、その曲線に身を委ねて。

秋にはいくつもの楽しみがある。ひんやりとした朝、起き抜けの珈琲。気持ちのよい空の下でのお散歩。季節の食材による美味しいおやつ。静かな夜の読書や映画鑑賞……。しかし そのような素晴らしい秋を、私はあえて何もせずに過ごしてみたい。今回ご紹介するのは、何もしない時間を特別にしてくれる秋田木工のロッキングチェア。この記事ではロッキングチェアの役割を再考するとともに、この椅子が暮らしにもたらす豊かさと、日本が誇る老舗家具メーカーの「曲げ木技術」についてもお伝えしよう。

ロッキングチェアという選択肢

〈秋田木工〉のロッキングチェア
揺れる椅子、ロッキングチェア。ご自身の家になくとも祖父母の家で見たことがあるという方も多いかもしれない。あるいは現実で見たことはなくても、映画や本をとおして触れたことはあるはずだ。そしてその椅子にはおそらく、広い洋館に住む紳士淑女のようなイメージを持っているのではないだろうか。その余裕のあるイメージゆえ「興味はあるけど現実的にはいらない椅子選手権」があるとしたらきっと上位に入るタイプの椅子ではあるが、私は実際に使ってみて、実は人間の生活にもっとも必要な椅子なのではないかと思い始めている。

ロッキングチェアが我が家にきたのは、今年のことだ。

ここ数年 家にいる時間が増えたからかインテリアへの熱が高まっていて、照明を買ったりDIYをしたりと居住空間を楽しんでいたのだが、しかしその一方で、私は椅子にだけは なかなか手が出せずにいた。インテリアがお好きな方は頷いてくれるだろうが、椅子ってすごく高価なのだ。それに用途が限られているから、そう何脚も必要にならない。座るという行為の目的は、たいてい食事か趣味か、仕事か。家族一人につき一脚あれば十分だとも言えるだろう。

けれども私は椅子を探し続けていた。目的を超えて、それがあるだけで嬉しくなってしまうような椅子はないだろうか?そこで時間を過ごすことが楽しみに思えるような椅子があったら、きっとこの日常は、もっと素敵になる。

……そうして辿り着いたのが、ロッキングチェアという選択肢だ。

人の余暇のために作られた椅子、ロッキングチェア
椅子の下にカーブ状の板が2本取り付けられた、ロッキングチェア。日本では揺り椅子と呼ばれ、文字通り前へ後ろへ揺れながら座ることができる。このタイプの椅子は18世紀初頭頃から存在しており、北アメリカを中心に製造されていたという。当時は主に庭で使用するための椅子だった。

庭に置かれたロッキングチェアに座り新聞を眺める農夫の写真や、芝生の上に置かれたロッキングチェアでうたた寝をする婦人の絵画を、どこかで見たことがある。それはとても穏やかな日常の一コマで、こちらにまでゆったりと流れる時間が伝わってくるようだった。

庭で使っていたということは、おそらく気候にも左右されたのではないか。彼らはきっと、よく晴れた気持ちのよい日に“わざわざ”そこに座っていたに違いない。つまりロッキングチェアは、座ることそのものが目的なのだ。他の椅子のように座って何かをするのではなく、ただ座ることが。

人の余暇のために作られたロッキングチェア。それは言い換えればきっと、人生のための椅子なのだと思う。

秋田木工の曲げ木技術

そうして私が選んだのは〈秋田木工〉のロッキングチェア。〈秋田木工〉は、100年以上の歴史をもつ老舗家具メーカーだ。

このメーカーの最大の特徴は、「曲げ木(ベントウッド)技術」。無垢の木材に高温の蒸気を加え柔らかくしてから 鉄製の型にはめ込み乾燥・固定させることで、アーチ状に木を加工する。この技術によって生まれる曲線は、自然で優美で、とても魅力的だ。

「曲げ木(ベントウッド)技術」による優美な曲線
話は少し戻るが、18世紀初頭頃のロッキングチェアは、食卓の椅子の脚にただ板を取り付けたようなものに過ぎなかった。
その歴史に大きな変化が生まれたのが、1860年に発表されたトーネット社のロッキングチェア。ドイツの家具職人ミヒャエル・トーネットによるデザインだ。

座ることそのものが目的であるという椅子の特徴をよく理解してのことなのだろう。ロッキングチェアを再解釈したトーネットは「曲げ木技術」によって、座り心地と大きく包み込むようなデザインを実現した。

秋田木工の「曲げ木技術」というのは、このトーネット社の技術を継承したものである。日本で唯一その技術を継承するメーカーであり、曲木専門工房。匠の技による繊細な曲線美はため息ものだ。

この美しい曲線を撫でるのが、私は好きだ。特に座っているときのアームの触り心地。ひんやりとした表面の中に、木の温もりを感じる。艶やかな表面に反射する光が、心にじんわりと落ち着きを与えてくれるようだ。

つうっと撫でたくなるしなやかな木
座面はラタン。曲げ木の存在感と、軽やかな網目のコントラストが楽しい。その椅子に身を預けると、身体がすうっと馴染んでいくような、不思議な感覚を覚える。

身体を包む柔らかなラタン
視覚的にも触覚的にも穏やかな時間を楽しむことができる椅子。このように座るだけでない味わい深さを感じられるのも、このロッキングチェアの魅力なのかもしれない。

日々手入れしたくなる美しさ

ピカソも愛したデザイン

さて、私がこの椅子を好きな理由はもうひとつある。実はこのロッキングチェア、かの巨匠パブロ・ピカソも愛したデザインなのだ。

「20世紀最大の巨匠」と謳われるパブロ・ピカソ
ピカソはベントウッドロッキングチェアの愛用者としてよく知られており、1940年頃から、フランスのアトリエで使っていたらしい。ナチス占領下のパリ。当時作品発表の機会が限られていたピカソは、アトリエにこもって制作を続けていたそうだ。

ピカソのパリのアトリエの様子
写真中央に置かれている椅子が、先に述べたトーネット社のロッキングチェア。ぐるぐるとした特徴的な脚のデザインが、画家の(とりわけピカソのような独創的な画家の)アトリエによく似合っている。

ピカソがこのロッキングチェアに座っているポートレートは沢山残っているが それだけでなく、女性を椅子に座らせて描いた絵画をいくつも残していることも興味深い。

ピカソが描いた「ロッキングチェアの裸婦(1956)」
ピカソはこの椅子をどのように見ていたのだろう。ここに座って、何をしたのだろう。何を考えたのだろう。

ピカソも愛用したロッキングチェア。同じデザインの椅子にゆらゆらと揺られながら 偉大な芸術家に想いを馳せてみるのも、芸術の秋におすすめの時間の過ごし方だ。

曲げ木とラタンが落とすこのリズミカルな影を、ピカソも見ていたかもしれない

ロッキングチェアを部屋に置くということ

ロッキングチェアが部屋にあるというただそれだけで、心がちょっと豊かになっているから不思議だ。

それは多分、ずっと自分の中にあった、ロッキングチェアに対するイメージによるところも大きい。余裕のある大人の椅子というイメージが強かったから、それを自分が所有しているという高揚感もあるだろう。


けれどもそれ以上に、大きな安心感のようなものを得られるのだ。生活に必要不可欠な行為「以外」の選択肢を、自分は持っているのだという安心感。

その椅子は私に、「何もしなくてもいい」というメッセージをくれる。私はそこで食べるでもなく、書くでもなく、見るでも読むでもなく、ただただ座る。もちろん、そこで食べても書いても、見ても読んでもいい。考えごとをしてもいいし、何も考えなくてもいいだろう。

何をしていても、何をしていなくても、自分のための時間を過ごせる椅子。ただただ座るだけで良い時間を過ごせるという安心感は、私たちを想像以上に温かく包んでくれるはずだ。

ただそこに座るだけで得られる特別な時間

人生のための椅子、その曲線に身を委ねて

秋にはいくつもの楽しみがある。ひんやりとした朝、起き抜けの珈琲。気持ちのよい空の下でのお散歩。季節の食材による美味しいおやつ。静かな夜の読書や映画鑑賞……。そのような秋のおうち時間、私は何をするでもなく、〈秋田木工〉のロッキングチェアにただ座る。

私たちは日々さまざまなものとの関わりの中で生きていて、ちょっと大げさかもしれないけれど、だからこそ時々自分を見失いそうになることもある。そういうときに、一人がけの椅子に揺られながら自分の中心を探っていく時間は、実はとても大切なのかもしれない。

秋田木工の曲げ木による曲線に、ふと人生が重なった。ときに登ったり、ときに降りたり。長く穏やかに続くその曲線に身を委ねて、今の自分自身に向き合ってみよう。

人生のための椅子、ロッキングチェア
普段使いの椅子では味わうことのできないリラックスした時間を過ごすことができるロッキングチェアは、やはり、人生のために作られた椅子なのだと思う。明日の人生をより素敵にするために、ロッキングチェアは良い選択肢なのではないだろうか。

秋田木工