Vol.157

KOTO

18 AUG 2020

愛するものと向き合う時間。靴磨きで佇まいと精神を整える

靴を履く、それは私的空間から世界と、そして人と関わり合いを持つ自分へと切り替わる瞬間。そんな時に靴が汚れていたらどうだろう?磨く時間がなかったと言い訳するのは簡単だが、何処かに大切なものを忘れてきたような、憂鬱な気持ちはぬぐえない。家で過ごす時間がある時こそ、しっかりとした靴磨きの基本を知り、習慣にしてみたい。メンテナンスは面倒な時間ではなく、自分自身が選んだものと向き合う大切なひと時なのだ。

心と身なりを整える。靴を磨く必要性

靴磨きが一般的になったのはそう遠い昔の事ではない。ヨーロッパでは中世までダビン(保革油)と呼ばれる革製品を保湿する天然の油で手入れされてきたが、これは靴に輝きを与えるためではなく、保湿を与え、維持する事が目的だった。

光沢を持つ革が登場した18世紀後半から、靴の保湿を保つだけでなく「磨く」ことも重要性を帯びてきた。19世紀の終わりになると、手頃な価格で一般の人々も革の靴やブーツが手に入るようになり、靴磨きは習慣化され、街にはそれを商いとする靴磨きの少年があふれるようになった。

美しい靴を保つため、靴磨きの少年は至る所に見受けられた
ここにひとつ面白いエピソードがある。

第二次世界大戦中、イギリス人の兵士がいるところには必ずKIWI(キィウイ)の靴クリームが見受けられたという。これはお洒落のためというよりは、戦時中非常に貴重品であった靴を少しでも長持ちさせるために手入れを怠らなかったと思われる。


戦後に連合軍が日本に集まった時、アメリカ人兵士はイギリス人兵士の靴を見て、大変驚くこととなる。それまで唾を吐きかけて靴を磨いていたアメリカ人兵士はイギリス人が履いている靴の美しさに感銘を受け、煙草1箱とKIWI1缶を交換し靴を磨くようになり、帰国後も靴磨きが習慣となったそうだ。

靴磨きは人々が革製品を所有するようになってから、まずは靴を長持ちさせるため、そして美しい状態を維持するために続けられてきた。身だしなみを整えるのは自分自身を律し高める事であり、洗練された佇まいはまず美しい靴が基本と言えるのではないだろうか。

手頃な価格で手入れの楽な合皮と、手間のかかる本革の違いとは

靴磨きに必要なプロダクトの需要は、実はその歴史が始まった当初から増えてはおらず、むしろ低下の傾向さえ見受けられる。これはスニーカーやスポーツシューズ、合成皮革の靴が市場に現れたためと言われている。

スポーツシューズなど用途や目的が違うものは別として、手入れも楽だし価格も安い、と合皮の靴を選ぶ人も多いのではないだろうか。合皮の靴は水や汚れに強く、手入れの時間に本革ほど煩わされることもない。

美しい靴を保つため、最小限の道具を手に入れてみよう
だが一見、便利で合理的に見える製品に愛情を注ぐことはできるだろうか。駄目になったら捨ててしまえばいい、代替品は幾らでもあるのだからと思う商品は、自分の中でそれなりの価値にしかならない。

例えば合皮の靴は長持ちして3年が寿命だと言われるが、本革の靴は十数年保つことができる。経年劣化していく合皮に比べ、手間をかければかけるだけ風合いを増して行くのが本革だ。

大切な日のための一足として、自分の好みを反映した本革の靴を手に入れてみてはどうだろうか。素材と制作工程を吟味し、デザインや色にこだわり、愛情を注げるものを探してみたい。最初は割高に感じるかもしれないが、自分にとって必要であるものを知り、見る目を養う絶好の機会となるだろう。

そしてメンテナンスをすることは、選んだものの重要さを実感できる時間。自分自身で作り上げたこだわりを、さらに美しく磨き上げる時間でもあるはずだ。

靴磨きの方法を知り、日常に取り入れる

あまりに多くの靴磨きの道具を揃えるのは面倒…という方に、自宅でできる基本の靴磨きの道具をご紹介しよう。

靴用ブラシ、古着のTシャツなどを利用した布、古いソックスなどを利用した化繊の布、靴クリームに靴ポリッシュ。そして下に敷く新聞紙、あればシューツリー。これらをそろえれば、靴を綺麗に磨くことができる。

そして靴磨きの方法だが、最初に靴の全体の汚れをブラシでざっと払う。ブラシは革靴を傷つけないように馬毛で作られたものがおすすめだ。磨き出す前に靴紐は取り、シューツリーを持っているならそれを入れておこう。そうすることで靴の皺が伸び、細かい部分にクリームやポリッシュが浸透しやすくなる。

皺を中心に、クリームを靴の柔らかい部分に浸透させる
少量の靴クリームを布に取り靴の履き皺を中心に、爪先、踵部分を除く靴の柔らかい部分に塗りこんでいく。靴クリームは靴の革の色と同等のものを選ぶ。合う色がない場合は数種の靴クリームを混ぜ合わせてもいいだろう。

革は皺が深くなったまま放っておくと、亀裂が入りやがて割けてしまう。靴クリームの役目は、保湿を与えることなのだ。

靴ポリッシュは靴の硬い部分、爪先や踵に浸透させる
次に使う靴ポリッシュには靴に光沢を与え、水や汚れから保護する役割がある。ここで注意したいことは靴ポリッシュは爪先の部分や踵だけに使い、履き皺や他の部分には使用しないこと。皺に靴ポリッシュを塗り込むと乾燥してしまい、亀裂が入ってしまうためだ。

少量の水を含ませた布で、爪先と踵に磨きを入れる
靴ポリッシュを少量布に取り、靴の硬い部分である爪先、踵部分に塗り込み、次に少量の水を布に含ませて磨き込む。ここが靴磨きで最も時間がかかる作業となる。しかし時間をかけて磨き込んでいくと、靴が光り出す瞬間が分かるはずだ。

磨き続けていると、靴が輝き出す瞬間に気付く
磨き続けて全体に満足できる光りが見えてきたら、化繊の布で最終仕上げの磨きを入れる。爪先、踵全体に光沢を与えたら、最後に全体にもう一度ブラシを入れておこう。

磨き終えたら、全体を軽くブラッシングする
靴磨きと聞くと複雑な作業を想像するかもしれないが、実はご覧のようにとてもシンプル。汚れを取り、靴クリームで保湿し、靴ポリッシュで光沢を与える。

かかる時間は30分ほどではないだろうか。しかし1回この作業をしておけば、日常は汚れをさっと払うだけで良い。これを数週間に一度の習慣にすれば、常に美しい状態の靴を維持できるはずだろう。

右側が磨き終えた靴。左側に比べ美しい輝きを放っている

靴とともに、自分のこだわりに磨きをかける。

靴磨きを数週間に一度の習慣に
家で過ごす時間がある時は、ゆっくり時間をかけて靴磨きのひと時を楽しんでみてはどうだろうか。他のことは考えず心を落ち着けて、静寂さを愛おしむように靴と対面してみよう。靴が美しく磨かれていくと同時に、心の中も透き通っていくような気持ちになれる。美しい靴を履いた瞬間は、背筋が伸びるように感じるはずだ。

靴はもちろん自身のこだわりや佇まい、そして精神ーすべてを整えてくれるエッセンスが、靴磨きには詰まっているのかもしれない。