Vol.151

MONO

28 JUL 2020

イッタラのアアルトベース|「花を生ける」をおまけにする北欧の花器

あなたにとって、花器とはどういう存在だろう。どんな花器を持っていて、どんな使い方をしているか。「花を生ける」という目的のためだけに、ありきたりのもので妥協していないか。そしてそれは今、居場所をなくし、パントリーに眠っていないか。心あたりがある方は、生活をもう一つ楽しくするエッセンスを、花器というアイテムに見出せるかもしれない。ここに、アアルトベースというユニークな花器が私にもたらしてくれた小さな気付きを、認めようと思う。

私の自慢の花器

アルヴァ・アアルトコレクション ベース/160mm/レイン
我が家には、自慢の花器がある。ittala(イッタラ)の、Alvar Aalto Collectionの花器。通称アアルトベース。

詳しくは後述するがフィンランド生まれの花器で、北欧デザインらしい優しい丸みと、澄んだ空気のようなガラスの表情が魅力的だ。間口が広く、写真のようにバサッと花を生けるのにも向いている。簡単なのにサマになるのが嬉しい。

花器の名品として、雑誌等で目にしたことがある方も少なくないだろう。実際私も、アアルトベースを初めて見たのは、確か何かの雑誌だった。インテリアやファッションに興味を持ち出した少女の頃、名前も知らないような洒落た花が無造作に生けられ、独特の曲線に首をもたげる様子に、私はあっという間に引き寄せられてしまった。

以来「理想の暮らし」のイメージの一端にその花器はあったのだが、約3万円という学生には高価な価格帯と、実家暮らしを言い訳にすること数年。憧れの花器は、親友たちからの、とびきり気の利いた結婚祝いとして、私のもとにやってきてくれた。自分のための特別な花器を手にしたのは、これが初めてだった。

少女だった私が憧れていたもの。
そういう経緯もあり、私にとってお気に入りの花器となったアアルトベースだが、今回私が紹介したいのは、花器という道具としての魅力ではない。

実は私は、アアルトベースとの暮らしの中で、あえて花を飾らない楽しみを見つけてしまった。実際、我が家のアアルトベースに、花はしばらく生けられていない。折角の良い花器なのにと思う方もいるかもしれないが、私はこの楽しみを見つけたことで、暮らしを味わう余裕がうんと広がった。

「花を生ける」を、おまけにする。そんな花器によって得られた豊かさについての話に、この先お付き合いいただきたい。

約80年前フィンランドで生まれた、時を超えるデザイン

まず、プロダクトとしてのアアルトベースの話をしよう。アアルトベースはその名の通り、アルヴァ・アアルトというフィンランドを代表する建築家/デザイナーによってデザインされた花器だ。同じくフィンランドを代表する老舗ガラスメーカー・イッタラで1936年に発表され、翌年にはパリ万博にも出品された。

およそ80年前にデザインされたという事実に、あらためて驚く。今もなお新しく見えるその普遍的な美しさは、一体どこからくるのだろうか。

有機的な曲線は、アアルトベースの魅力的な特徴のひとつ。
現在もイッタラの工房にて手吹きでつくられるガラスの質感や、イッタラ独自のカラーレシピによる絶妙な色合いなど、魅力は山ほどあるが、フィンランドデザインの象徴ともいわれるその独特なフォルムが、何より印象的だ。そのモチーフとされたものは、フィンランドの湖の形や白樺の根本付近の断面形状など諸説あり、いずれにしても北欧の地に所縁のあるものだという。

アアルトベースの時を超えた美しさのヒントは、このモチーフにあると、私は考える。

私たちは、その流れるような有機的なデザインに、自然の美しさを見出すことができる。湖や白樺の断面に限る話ではない。枝葉が太陽へと向かうしなやかな曲線や、蕾のやさしい丸み、波のうねり、雨上がりの水たまりのかたちなど、どんな些細なものでも。

そしてそれら自然の美しさは、この花器が生まれた1936年も、現在も、そして未来においても、きっと私たちを癒し続けるのだ。自然の美しさは、廃れることはない。この地球において、昔も今も変わらない、最もすぐれたものの一つではないだろうか。

私がアアルトベースに、あえて花を飾らない楽しみを見いだすことが出来たのは、花器自体が、花に通ずる美しさを持っているからかもしれない。

睡蓮を浮かべれば、その輪郭は池のようにも見えてくる。

こうして私は、「花を生ける」をおまけにした

すこし時間を遡る。この花器が我が家にやってきたばかりの頃、私はそこに、なるべく花を飾るように努めた。一週間に一度は近所のお花屋さんへ行って、馴染みの店員さんとおしゃべりをしつつ花を選ぶ、お洒落で丁寧な暮らし…しかし、花を絶やさないというのは案外難しく、実際には、なかなか続けられなかった。

そして私は、花を生けないことに後ろめたさを感じつつも、しばらく空の花器を棚に飾り、時折磨いていたのだが、あるとき気が付いた。それだけで美しい花器なのだから、「花を生ける」ことを目的としなくてもよいのではないかと。自分次第で、もっと色々な楽しみ方ができるのではないだろうか。

場所に合わせて、置き方を変える。
それから私は、立てていたアアルトベースを、横に寝かせてみた。今までの見え方が変わり、オブジェとしての面白さが見えてきた。

晴れの日、水だけ入れて、陽のあたるところに置いてみた。キラキラと揺れるカーブが美しく、それだけでじゅうぶん視覚を楽しませてくれた。

水を入れるだけでも楽しめる光と影、揺らめく曲線。
誰のためでもなく、自分のためだけに使える「時間」が、そこにはあった。

見たり、眺めたり、磨いたり、生けたり。それらは忙しい毎日のなかで、ちょっと足を止めて、静かに考え事をするきっかけになる。そんな時間の中で「ああ、今日の私はこんなことを考えていたんだ」なんてことに、ふと気付けたりする。それがちょっと落ち込むことでも、物の美しさに、気持ちがすこし救われる。

よい話し相手というには大げさかもしれないけれど、そんな懐の深さを、私はこの花器に感じている。花器という概念にとらわれて、「花を生ける」ためだけにアアルトベースを使っていたら、私はこんな時間を持てなかったかもしれない。

アアルトベースが持つ、花と対等の魅力

「花を生ける」以外の私なりの楽しみ方を、ご紹介してきた。

やや逆説的かもしれないが、私はこれらの楽しみを、花器が「花を生ける」ということを完璧にこなすからこそ持てる楽しみだと考えている。

私が思うに、アアルトベースは自然に通ずる美しさを持っているが故に、花とどこまでも対等だ。ふつう花器とは、控えめで、花を引き立てるような存在なのではないだろうか。

それに対してアアルトベースには、自立した美しさがある。花に媚びない余裕があるからこそ、花を生けた時に、互いを最大限引き立て合うことができるのだ。

そこに花を生けるとき、波状の淵に沿って広がった花々はまるで踊っているかのように、より愛らしく見える。花の魅力を助長させるような力が、この花器にはある。

「花を生ける」のも、アアルトベースの持つ大切な楽しみ。
使われる様子まで計算されてこそ、すぐれたデザインだとよく耳にするが、アアルトベースはまさにそんな花器だ。そして、すぐれたデザインだからこそ、使い手に、本来の用途以上の楽しみを与えてくれるのだろう。

「花を生ける」ことも含め、私はこれからも、アアルトベースを様々な角度から楽しみたいと思う。

アアルトベースは私にとって、自慢の「花器」なのだから。



花器と花。シルエットもまた可愛い。

新しい考え方をくれるアアルトベースを、あなたの生活に

固定観念を捨て、視点をちょっと変えることにより、暮らしを楽しむ心のスペースはうんと広がる。凝り固まった考えにとらわれているものというのは、案外多い。それらを見直すきっかけとして、花器を改めてみるのはどうだろう。

道具としてではなく、暮らしを味わうための嗜好品としての花器を、選んでみよう。「花を生ける」をおまけにしてしまうような、すぐれた花器。日常に取り入れることで、あなたらしい毎日を、より一層愛せるようになるかもしれない。

アルヴァ・アアルトコレクション ベース 160mm レイン

ittala|Alvar Aalto Collection(アルヴァ・アアルト コレクション)
https://www.iittala.jp/products/list.php?category_id=21